朝からミーティングで、コーヒー飲みながら、時差ぼけの頭をなんとか回転させ始めていますが、大学に来てみると自室の鍵を持っていなかったり、なかなか現場復帰できてません。まだ頭の中は、バンクーバー島周辺の美しい島々が流れていますし。
骨休み最後の週は、ビクトリア郊外のブレントウッド湾に面したホテルに居ました。ここもソルトスプリング島のガンジスの港と同じようなひなびた漁港です。テラスレストランで、おいしい食事を頂きながら、ふと隣のテーブルを見たらこんなものが (more…)
写真はソルトスプリング島ガンジスの港です。使い古された桟橋が打ち捨てられたように沈みかかっている光景が、この港町の時間の流れ方を象徴しているように感じました。
明日、日本に向かって出発します。到着は、原研哉さんディレクションのTOKYO FIBER ’09 SENSEWARE の最終日。成田から直接21_21に向かい、閉館間際に飛び込むことになりそう。
またせわしない生活に戻るようです。
どちらも大切だと思っていることの二者択一を迫られるとき、私は、一方を採り、一方を捨てるしかない状況そのものを根底から疑うようにしています。二つの選択肢しか見えない状況に自分を縛ってはいないか。そもそもなぜその二つなのか。
アイデアは二律背反を疑うところから始まるのではないでしょうか。
両天秤のまま妥協点を探そうとすることは、しばしば一番つまらない選択となってしまいます。例えば (more…)
三宅一生さんは「INSETTOのプロトタイプを見て、Issey Miyakeの腕時計を作ることを決断した」とまでおっしゃり、今でも、いつもINSETTOを身につけてくれます。
その三宅さんの期待に答えることができたのかどうか、とうてい自信を持てませんが、少なくとも、私が信頼を寄せるセイコー・インスツルの技術者達に製造を依頼したことは正解だったようです。 (more…)
ニューヨークのトライベッカにあるイッセイミヤケショップは、フランク・ゲーリーのデザインによる旗艦店として、今やたくさんの人が訪れる名所となっています。2001年11月にオープンしましたが、当初はその2ヶ月前にオープンすることになっていました。
場所はワールドトレードセンター(WTC)から、およそ800メートル。9月11日にあの悪夢のような出来事が起こらなければ、9月12日には、華やかなオープニングセレモニーが開催される計画だったのです。 (more…)
その繊細な部品を「骨」展に出品したことで、何人かの知り合いがINSETTOを新たに所持してくれるようになりました。たいへん高価な時計なのですが、イッセイミヤケのショップでもぼちぼち売れているそうです。
デザインコンセプトは「自然散策のお供をしてくれるかしこい昆虫」。針の形状や、ボディとベルトのつなぎ目なども、昆虫の形をモチーフにしています。
この腕時計を最初にデザインしたのは20年前、私がまだ30を過ぎたばかりのころです。 (more…)
ソルトスプリング島のB&Bにいます。
ここは1980年代までイギリス人夫婦が暮らしていた館を改装したものらしいのですが、マナーハウスと呼ばれる本館のほかに、果樹園や、数頭の羊が飼われている小さな牧場、花を育てる庭園などがあります。元は農作業のための小屋なども改装されて、本館とともに宿泊施設として利用されています。小屋の前には、大きなリンゴの木があって、青い実を付けているのが絵のようです。 (more…)
バンクーバーからソルトスプリング島へ飛行機で移動しました。
ダウンタウンの北、コンベンションセンター脇の小さな桟橋から出発するその飛行機は、パイロット+乗客4名の小型水上飛行機です。
30分ほどの短い飛行時間ですが、入り江から入り江への軽やかな移動に、気分はもうポルコロッソ。 (more…)
骨休みにきているバンクーバー。すばらしい快晴に気を良くして、少しうろうろしてみました。 (more…)
バンクーバーで、親子三人で暮らし始めて今日で4日目です。ほとんど外食も観光もせず、近くのスーパーで買い物して、妻の食事で暮らしています。ずっとかかり切りだった仕事もようやく一段落ついたし、明日からはもう少しアクティブに活動しようかなあ。
こうして、観光目的でもなく北米にいると、初めて坂井直樹さんのロサンゼルスの豪邸に招かれたときのことを思い出します。ハリウッドのすぐ近く、フランクリンアベニューに面した、プール付き、5ベットルーム、4バスの大きな一軒家でした。 (more…)