スコアを修正し続けたブルックナー、客に注文をつけるサティ

Off — yam @ 9月 19, 2010 12:00 am

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私はクラシック音楽をよく聞きます。といっても自分では全く演奏しないし、作曲や演奏家に詳しいわけでもないので、ただのミーハーな名曲ファン。

クラシック音楽を聴きながら、作曲家の伝記や音楽の歴史などを読むのも好きです。作曲家たちが、時代の流れの中で何を感じ取り、どんな新しさを発見し、何と戦ったのか。どのように自分の才能と向き合い、他の音楽家から学んでいったのか。そんなことにわくわくします。

批判を気にしながら生涯スコアを修正し続けたブルックナー。あらゆる作曲技法に精通しているが故に新しい流れに乗り損なうマーラー。新しいコンセプトの提示にしか興味がない皮肉屋のサティ。ドボルザークの旋律の美しさに嫉妬するブラームス。ショパンを敬愛し続けるリスト、そのリストに作曲なんかやめて僕の曲だけ演奏してればいいと言い放つショパン。

なんて楽しい、愛すべき芸術家たち。これが美術家やデザイナーの話だと、いちいち共感できるできないを考えたり、技法の詳細が気になったりするのですが、音楽の素養のない私は気楽なものです。

その一方で、作曲家が新しいコンセプトを発見して狂喜したり、それを理解されないことに悩んだりする姿は、私自身の日々の活動にぴったりと重なります。つまり、私にとって作曲家の世界は、クリエイターとしては共感しながらも、技能的には全く遠い、近接しながら交わる事のない、楽しきパラレルワールドなのです。

エリック・サティは1920年に「家具の音楽」を作曲しました。バウハウスのデザイナー達とも交流があったサティは、家具のように快適生活のためだけに設計された音楽という当時は画期的なコンセプトでこの曲を作曲しました。コンサート会場のあちこちに演奏者を忍ばせて休息時間にこっそりと発表したのに、どうしても聞き入ろうとする観客に対して「おしゃべりを続けろ」と叫んで回ったそうです。

自分の新しいコンセプトが、うまく観客の体験につながらないときの、作家のもどかしさはとても良くわかります。

先日の「”これも自分と認めざるをえない”展」のオープニングの日に、あまりの混雑のためにきちんと体験できない来場者の皆さんが気になって、「観客が来ないようにする方法はないか」と真剣に言う佐藤雅彦さんを、ついサティに重ねてしまいました。

(写真:Erik Satie’s manuscript of Vexations

坂の上の雲

Off — yam @ 8月 29, 2010 3:08 pm

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まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑(しゅゆう)は松山。(司馬遼太郎「坂の上の雲」より)

時代は百年ほど違いますが、「坂の上の雲」の世界は、「伊予の首邑」松山に生まれた私の気持ちに重なる部分があります。

主人公である秋山真之や正岡子規と同じように、若き日の私も、松山という穏やかな地方都市から活気溢れる東京をあこがれの目で遠望し、「偉くなる」事を夢見て上京しました。地方都市特有の上昇志向は、今も昔も変わらないようです。

しかしその気持ちは長くは続きません。正岡子規は、東大予備門(現・東大教養学部)に入学し、やがて文学にのめり込んで行き、東大を中退してしまいます。同じ東大に行きながら、私もまた、いつしかマンガにのめり込み、留年したあげく当初の上昇志向とは全く違う道を選びました。

幼少期に過ごした愛媛の各地は、穏やかな気候以外にこれと言って取り柄のないところでしたが、どこへ行っても生き物が溢れていました。

夏の日に田んぼのあぜ道を歩くと、ひっきりなしに数歩先の草むらから用水路に飛び込む蛙の水音がします。チャポチャポと言う音に先導されながら、トンボの群れや蚊柱をくぐり、夕方になればそれを襲うコウモリの群れを見上げ、夜には蛍の群れが作る川沿いの光の帯を歩きました。

そうした経験が、自分のデザインに影響を及ぼしているとは特に思わないのですが、しかし、デザインの起点である「観察」の喜びは、生き物達を見つめるうちに学んだものだと思います。

詩歌をたしなまない私が、正岡子規の深淵をわかるはずもないのですが、「写生」という言葉には心躍る響きを感じます。装飾を排して事物をまっすぐに見る姿勢は、古典回帰でありながら最も近代的な視点に立っており、デザインのモダニズムにも通じます。その起点には「観察」があったのではないでしょうか。

あとからつづいた石川啄木のようには、その故郷に対し複雑な屈折をもたず、伊予松山の人情や風景ののびやかさをのびやかなままにうたいあげている。

と司馬遼太郎は子規を紹介します。見たもの聞いたものを明るくのんびりと受け止める性向は、私も受け継いでいるかもしれません。

銀座目利き百貨街

Off — yam @ 8月 23, 2010 1:20 am

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原研哉さんが、またまた面白い展覧会を企画してくれました。建築家、博物学者、茶道家、デザイナー、アーティスト、脚本家、編集者などの49人が、にわか店主となって自分たちが選んできた物を売ります。名付けて『銀座目利き百貨街

1m四方のテーブルに乗ること、法律に触れないこと、生ものや、生き物でないことなどの自主規制はありますが、基本なんでもあり。わざわざ仕入れた人もいるし、自分の秘蔵品を売る人もいるし、自分の作品を売る人もいます。「目利き」とか言われると尻込みしてしまうのですが、私も参加します。

上のチラシの下半分にずらりと並んだのが、各店舗の屋号。どれが誰だかわかりますか。結構自分の名前をアレンジしている人が多いので想像できると思います。下は参加者リストです。同じ順番に並んでいるので対応づけて見てください。(上のチラシのデータを印刷して持って行っても100円引きにはなりません、多分)

ちなみに私の屋号は「はんぱ屋」文字通りはんぱものを売ります。

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南アフリカの光と陰 その2

Off — yam @ 6月 18, 2010 2:49 pm

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南アフリカの国際会議、Design Indabaは、生まれ変わりつつあるこの国の活力を感じるものでした。しかし、一方で経済成長の陰に隠れて今なお拡大する闇も、少なからず見ることができました。

滞在中、主催者からは、6時を過ぎたら、いかなる場所であれ一人で出歩かないよう何度か警告されました。実際、まだ明るい夕方6時半ごろに講演者がひとりで散歩に出かけたといって、現地スタッフが血相を変えて探していたこともありました。

急速な経済成長のもとで、ブラック・ダイヤモンドと呼ばれる黒人富裕層が生まれる一方で、失業率は20%(黒人失業率は30%)を超えています。6時になると、帰宅する労働者たち代わって、失業者たちが都市中心部に流入して、市内の雰囲気ががらりと変わるのです。

講演者全員に用意された専用車の運転手さんが、どこへでも連れて行ってくれましたので、私たちはバスや列車を使う事はいっさいありませんでした。彼は、クルマを降りた先でも、いつも一緒に行動してくれます。常に黒い上着を着ているので申し訳なく思って、ある暑い日にジャケットを脱ぐ事を勧めたら、自分の胸を指差しながら「武器があるので脱げない」と。彼の本職は警官で、この会議のためにガードマンとして動員されたそうです。

写真は、その運転手兼ガードマン氏が案内してくれた旧黒人居住地です。20年前までの黒人たちは、鉄条網に囲まれたそのエリアから自由に出入りする事も許されていませんでした。現在では解放されているのですが、仕事のない貧しい人たちの多くは、残骸となった鉄条網の中で暮らしています。

ここに入るにあたっては、運転手氏が応援を手配し、私と妻は、警官4人にガードされながらそのエリアを歩きました。荒涼とした砂地に、ありとあらゆる廃材で立てられた家。舗装道路もなく、下水も整備されていない街は、ゴミだらけでした。ある家族が私たちを明るい笑顔で家に招き入れてくれましたが、室内にも廃品をかき集めたような家具が並べられていました。

救いだったのは、そこで生活する人々がそれほど不幸には見えなかったことでした。廃材の家には、長く住まわれた家だけが持つ、穏やかな空気が流れていたのです。陽気な彼らは、さかんに、楽しげに話しかけてくれました。もちろん何も言っているのかは全くわからないのですが。

身分制度こそなくなったものの、深刻な貧富の格差にあえぐ南アフリカ。私たちの帰国後に、周辺国からの移民が社会問題化して大きな暴動が起き、今も小競り合いが続いているそうです。あの鉄条網の中で暮らす陽気な人々は、ワールドカップをどのように受け止めているのでしょうか。

ついった始めました

Off,Works — yam @ 4月 29, 2010 11:42 pm

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遅まきながらtwitter始めました。アカウントはYam_eyeマリコさんの結婚式ハッシュタグで、みんなが盛り上がっているのを見てつい。

同じ日に水野学さんが始めていてびっくり。

やってみると、なるほど中毒性があり、某雑誌が「ツイッター亡国論」などぶつのもわからんでもないと思いました(読んでいませんが)。まあしかし私たちは、マイカー亡国論もテレビ亡国論も、インターネット亡国論も乗り越えてきました。アーツアンドクラフト運動だって、乱暴に言えば「産業革命亡国論」だったと言えるかもしれません。

急速に広まる新技術へのこうした悲観論は、いつの時代も、私たちが大切な何を失いつつあることを教えてくれる重要な警告です。おそらくまた、大切な何かを失う事になるのも間違いないでしょう。だからと言って滅びるとは限らないのが、人間のしたたかなところではありますが。

人と技術の仲を取り持つデザイナーとしては、何を失いつつあるのかに敏感である必要があります。デザインがそれを補完できると考えるのは、思い上がりかもしれません。しかし、少なくとも悲観的な警句を新たな価値創出のきっかけにすることはできるでしょう。

ブログの方がまとまった事を話しやすいので、Twitterで意見表明はしないと思います。多分「なう」も言わない。ゆらゆらと受け身で皆さんのつぶやきに、ただ反応していたい。アイコンをCyclopsにしたのもそういう意味です。

Photo by Yukio Shimizu

アリの勇者

Off — yam @ 4月 4, 2010 11:59 pm

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私のアトリエは山の中腹にあって、とても平穏な空気に包まれているのですが、時として自然はどきりとするような厳しい光景を見せつけてくれます。アトリエは常に自然界からの浸食を受けており、時々大型のクモやムカデなども入り込んできます。昨日の侵入者はアリの勇者でした。

頭が二つの気持ち悪いアリがいると娘が叫ぶので見に行くと、確かにおかしなアリがいます。体調は12、3ミリの大型のアリなのですが、頭の上にもうひとつ頭らしき物が。かなり弱っていたのでじっくり観察してみると、どうやら左の触覚のつけねに、別のアリの頭が右の方から噛み付いたかたちでのっかっているらしい。

勝手な想像なのですが、おそらくこのアリは、今や頭だけになってしまったもう一匹の少し小柄な個体と戦ったのではないでしょうか。

かろうじて勝利はおさめたものの、敵の頭はいまだにこのアリの触覚から離れない。そうだとすると、なかなか壮絶な光景です。激しい戦いを想像してしまいますね。倒した敵の頭蓋骨を身につけている勇者にも見えなくもない。

取ってやることも考えたのですが、自然の営みと昆虫の生命力に敬意を表して、そのまま土の上に戻すことにしました。無事に生き延びたでしょうか。

ところでこのアリの種名、ご存知の方いますか?

亀の井別荘のスーパーノーマル

Off — yam @ 3月 9, 2010 3:30 am

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湯布院に亀の井別荘という旅館があります。今更私がここで何かをいうのもむなしいほど、いろいろな雑誌やブログで絶賛されています。それでもちょっと書きたくなりました。

一言でいうとデザイナー泣かせの旅館です。いわゆる「良くデザインされている」と言えそうなところが見当たらないのです。調度品にも特別な感じはなく、庭の造りも一見無造作。にもかかわらず、空間自体に圧倒的な居心地の良さがある。これはなんか不思議だなと歩き回っているうちに、二つのことに気がつきました。

まず、不愉快な色がどこにもないのです。決してミニマルな空間ではなく、必要なものはなんでも揃っているのですが、調和を壊すような質感や色彩が丁寧に除かれている感じ。

もうひとつは、恐ろしいほどに掃除とメンテナンスが行き届いていること。廊下の明かり取りの桟にすら、ほこりが積もっていないのです。信じがたくて、嫁チェックする姑みたいに、指でいろいろな隅っこをなでてしまいました。

共通して言える事は、美意識などという尊大なものとは無縁の、ただ丁寧に「あく」を取り除く作業があらゆる所に行き届いていることでした。「スーパーノーマル」ってこういうことを言うのかも。

どうせ写真ではこの魅力は伝わらないと思いつつさまよっていたら、裏方の作業場でとても美しい光景に出会いました。ムシロを干しているのでしょうか。こういう日常があの居心地を支えているのですね。

帰りがけに、絵のように凛とした風格の女将に挨拶されて、問うてみました。

「ここは、全体で何人泊まれるのですか。」

「60人の方にお泊りいただけます。」

「ここでは何人の方が働いていらっしゃるのでしょう。」

「そうですねえ。レストランとかも入れると百人ぐらいでしょうか」

一万坪の土地にたった60人の宿泊者、そしてその1.6倍の従業員。スーパーノーマルの秘密の一端に触れたような気がしました。

ダ・ヴィンチの全日空

Off — yam @ 2月 25, 2010 2:05 am

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昨日、この全日空機に乗りました。まだこんな塗装あったのか、などと間抜けな事をつぶやいてしまった私に、

「いや、全日空が767を導入したのは、このデザインをやめてからなので、新しく昔風に塗ったんでしょ」と、濃ゆいことをいう妻。

昨年12月に、いくつかの路線で、この「復刻版」(B767に昔の塗装を新たにほどこしたもの)が導入されたそうです。尾翼にはダ・ヴィンチの飛行機械をあしらったマークもありました。でもあの飛行機械って、ローターの反作用で自分が逆方向に回るのを止める機構がないので、たとえエンジンを使っても原理的に飛べないようです。学研の大人の科学でも、なんとかあの形のまま飛ぶモデルを作ろうとしたけど、結局断念して2重反転ロータのものを新たに作ったみたい。飛べないものをマークにするって、大胆だよなあ。

大分空港にて。

クリスト!

Off — yam @ 2月 14, 2010 8:42 pm

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正直に言うと「クリストとジャンヌ=クロード展」は、それほど意気込んで見に行ったわけではありませんでした。なぜって、彼らの作品って、あの大風呂敷を現地で見ることに価値があると思っていたから。でも21_21 DESIGN SIGHTのひんやりした空間にずらりと並べられたクリストのドローイングを見て、久しぶりに、しばらく動けないほど感動してしまいました。

建築やランドスケープ・アートなどの巨大プロジェクトのスケッチを見る事には、アイデアの源泉に触れる喜びがあります。しかし、結局その価値は「本番」に付属するものであり、それを鑑賞する事は、実物に触れる感動を補強することでしかない。そう思っていました。でもクリストのそれは違いました。

何と言う輝かしい光景。存在感。これから作ろうとする未来の光景を、これほど明瞭にイメージできるものなのか。さほど多くはない色材を殴りつけるようなタッチで置いていきながら、完璧にコントロールされた色相と明度。現実にはあり得ない空中視点から透視される正確無比な光と陰。ビジョンと技巧の完璧な出会いに打ちのめされました。ああ、この人はこの絵だけでも人類の歴史に長く残る人なんだ、と。…いまさら、でしょうか。

会場ではサイン会が行われていました。この偉大な人物と同じ空間にいる事がうれしく、そのまなざしの変化やペンの持ち方のひとつ一つを見逃したくなくて、じっとたたずんでいたら、

「何見てんの?」と娘。

「え、あー…クリスト…さん」

我ながら間抜けな答えでした。結局、ご本人には声をかけることすらせず。でも良いのです。話してみたいと思わないほど憧れることができて大満足。また見に行こ。

光る都市

Off — yam @ 1月 21, 2010 3:44 pm

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世界で2番目に高いビル、上海環球金融中心(ワールド・フィナンシャル・センター)は、492mの全長を強力なサーチライトでライトアップされていました。写真ではわかりにくいですが、エッジに埋め込まれた青色LEDも鮮やかです。

しかし、もっと印象的だったのは市内の高速度道路でした。裏側の両サイドに強力なライン状の青色光源が設置され、高速道路の下面全体が延々と、鮮やかにライトアップされているのです。上海の空中を、川のようにうねりながら交差し、流れていく青い光。ただ、恐ろしく未来的な光景を作り出すためだけの膨大なエネルギー消費です。

今、私たちは、地球温暖化を前に、このままのエネルギー消費に輝かしい未来はないらしい事を感じています。

しかし、私たちの方が萎縮してしまっているだけなのかもと思ってしまうほど、上海の光には、膨大なエネルギーを誇示し、人類がもはや夜の闇を恐れるひ弱な存在ではない事を謳歌する意思を感じました。地球温暖化の問題が解決してしまったら、人類はやはり光溢れる未来を望み続けるのでしょうか。

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