
湯布院に亀の井別荘という旅館があります。今更私がここで何かをいうのもむなしいほど、いろいろな雑誌やブログで絶賛されています。それでもちょっと書きたくなりました。
一言でいうとデザイナー泣かせの旅館です。いわゆる「良くデザインされている」と言えそうなところが見当たらないのです。調度品にも特別な感じはなく、庭の造りも一見無造作。にもかかわらず、空間自体に圧倒的な居心地の良さがある。これはなんか不思議だなと歩き回っているうちに、二つのことに気がつきました。
まず、不愉快な色がどこにもないのです。決してミニマルな空間ではなく、必要なものはなんでも揃っているのですが、調和を壊すような質感や色彩が丁寧に除かれている感じ。
もうひとつは、恐ろしいほどに掃除とメンテナンスが行き届いていること。廊下の明かり取りの桟にすら、ほこりが積もっていないのです。信じがたくて、嫁チェックする姑みたいに、指でいろいろな隅っこをなでてしまいました。
共通して言える事は、美意識などという尊大なものとは無縁の、ただ丁寧に「あく」を取り除く作業があらゆる所に行き届いていることでした。「スーパーノーマル」ってこういうことを言うのかも。
どうせ写真ではこの魅力は伝わらないと思いつつさまよっていたら、裏方の作業場でとても美しい光景に出会いました。ムシロを干しているのでしょうか。こういう日常があの居心地を支えているのですね。
帰りがけに、絵のように凛とした風格の女将に挨拶されて、問うてみました。
「ここは、全体で何人泊まれるのですか。」
「60人の方にお泊りいただけます。」
「ここでは何人の方が働いていらっしゃるのでしょう。」
「そうですねえ。レストランとかも入れると百人ぐらいでしょうか」
一万坪の土地にたった60人の宿泊者、そしてその1.6倍の従業員。スーパーノーマルの秘密の一端に触れたような気がしました。

水道の蛇口からつーっと細く水を落とすと、元の方が太くて先に行くほど細くなって行きます。先日、ふと思いました。これは、水が落ちて行くにつれて重力に引っ張られて、だんだん速くなって行くからじゃないかと。
同じ幅の水では、流れが速いほどたくさんの水が流れます。逆に一定の水が流れている場合には、流れが速くなるとその分、細く流れることになります。人の集団が、ゆっくり道を歩いているときは横に広がってるのに、前の方が走り始めると列が細長くのびちゃうのと似たようなものです。
蛇口から落ちた水も同じでしょう。少し丁寧に言うと<水の速度>×<流れの断面積>=<流量>、流量が一定なら、自由落下で速度が上がるのに反比例して、断面積が減って行くことになります。しかし、この原理で本当にあのきれいに細くなって行く形が生まれるのでしょうか。しばし数学っぽく考えてみました。
ややこしいので細かい事は省略しますが、落下距離は速度の2乗に比例、速度と断面積は反比例、断面積は水の直径の2乗に比例、というような関係をつないで行きます。その結果、水の直径は、蛇口からの距離の-1/4乗で表されると推定しました。
この方法は「次数推定」と言って、そうすることで正確な数値を求めることはできませんが、二つの数字が描く曲線がどんな形になるかだけは想像できます。自然の中の神秘的な形が、どういう仕組みで生まれているのかを考えるには有効な方法です。
とはいえ、-1/4乗とか言っても全然イメージわきませんよね。その関係を、MacのおまけソフトGrapherで3次元に描いてみたのが上のグラフです。一応なんかそれっぽいものができました。蛇口の先に細くのびる繊細な水の形は、「落下速度に反比例して断面積が小さくなる」という単純な原理から生まれる。という事で良いようです。
私たちがきれいだなーと思う形には、しばしばシンプルな原理が潜んでいます。その形を明快に記述してくれる思考プロセスが数学。無意識の感覚を意識化するためには、数学はとても便利な道具になります。
なお、実際の水道では、途中で水のかたちが崩れてしまうのですが、そのあたりも含めてこの現象を説明した文献をご存じの方、情報をくださるとうれしいです。

昨日、この全日空機に乗りました。まだこんな塗装あったのか、などと間抜けな事をつぶやいてしまった私に、
「いや、全日空が767を導入したのは、このデザインをやめてからなので、新しく昔風に塗ったんでしょ」と、濃ゆいことをいう妻。
昨年12月に、いくつかの路線で、この「復刻版」(B767に昔の塗装を新たにほどこしたもの)が導入されたそうです。尾翼にはダ・ヴィンチの飛行機械をあしらったマークもありました。でもあの飛行機械って、ローターの反作用で自分が逆方向に回るのを止める機構がないので、たとえエンジンを使っても原理的に飛べないようです。学研の大人の科学でも、なんとかあの形のまま飛ぶモデルを作ろうとしたけど、結局断念して2重反転ロータのものを新たに作ったみたい。飛べないものをマークにするって、大胆だよなあ。
大分空港にて。

正直に言うと「クリストとジャンヌ=クロード展」は、それほど意気込んで見に行ったわけではありませんでした。なぜって、彼らの作品って、あの大風呂敷を現地で見ることに価値があると思っていたから。でも21_21 DESIGN SIGHTのひんやりした空間にずらりと並べられたクリストのドローイングを見て、久しぶりに、しばらく動けないほど感動してしまいました。
建築やランドスケープ・アートなどの巨大プロジェクトのスケッチを見る事には、アイデアの源泉に触れる喜びがあります。しかし、結局その価値は「本番」に付属するものであり、それを鑑賞する事は、実物に触れる感動を補強することでしかない。そう思っていました。でもクリストのそれは違いました。
何と言う輝かしい光景。存在感。これから作ろうとする未来の光景を、これほど明瞭にイメージできるものなのか。さほど多くはない色材を殴りつけるようなタッチで置いていきながら、完璧にコントロールされた色相と明度。現実にはあり得ない空中視点から透視される正確無比な光と陰。ビジョンと技巧の完璧な出会いに打ちのめされました。ああ、この人はこの絵だけでも人類の歴史に長く残る人なんだ、と。…いまさら、でしょうか。
会場ではサイン会が行われていました。この偉大な人物と同じ空間にいる事がうれしく、そのまなざしの変化やペンの持ち方のひとつ一つを見逃したくなくて、じっとたたずんでいたら、
「何見てんの?」と娘。
「え、あー…クリスト…さん」
我ながら間抜けな答えでした。結局、ご本人には声をかけることすらせず。でも良いのです。話してみたいと思わないほど憧れることができて大満足。また見に行こ。

坂井直樹さんのブログで見事な水滴の写真が紹介されていたのでそのまま拝借。
子供の頃、「湿度70%」が不思議でした。「空気中に含まれる水分の量」と聞いて、空気全体の七割が水なのだと思ったのです。すると本当の空気は3割しかない!。そんなに水が空中にあったら溺れちゃうかも。中学生になって、空気が水蒸気を抱え込める量には限界(飽和水蒸気量といいます)があって、その限界に対して、70%なのだということを知りました。だから湿度100%でも溺れる事はないと。
さて、暖房を入れたりストーブを焚いたりすると「空気が乾いて、喉が痛くなる」と感じる人はたくさんいるでしょう。ヒーターでタオルを乾かすように、熱が水分をどこかへ飛ばして空気そのものを乾かすイメージがありますが、考えてみると妙です。タオルの場合は水が空気中に逃げていく、でも空気を乾かすといっても、水の行き場がないし。
ではなぜ乾くのか。実は。気温が上がると空気の飽和水蒸気量は大きくなります。つまり、ストーブによって暖められた空気は、抱えている水の量は変わらないのですが、水を抱えられる器が大きくなる。余裕ができた空気はあたりの水分を吸い上げ、当然、私たちの体の水分も奪います。タオルなども乾きやすくなるので、「空気が乾いた」と感じるのです。
逆もあります。水をいっぱい抱えた空気の温度が下がると、今度は器が小さくなって、やがて水を持っていられなくなります。その結果、空気から放り出された水が「露」です。冷やされた空気は、水を持ちきれなくなって、ガラスの上や、葉っぱの上に水を置いていく。
温度によって水を抱え込める器の大きさが変わる。中学で習ったような気がしたのですが、先日妻とスタッフに話したら感心されてしまいました。そして昨日はSFCの学生達にも…。
結局また、理科の授業みたいになってしまいました。

世界で2番目に高いビル、上海環球金融中心(ワールド・フィナンシャル・センター)は、492mの全長を強力なサーチライトでライトアップされていました。写真ではわかりにくいですが、エッジに埋め込まれた青色LEDも鮮やかです。
しかし、もっと印象的だったのは市内の高速度道路でした。裏側の両サイドに強力なライン状の青色光源が設置され、高速道路の下面全体が延々と、鮮やかにライトアップされているのです。上海の空中を、川のようにうねりながら交差し、流れていく青い光。ただ、恐ろしく未来的な光景を作り出すためだけの膨大なエネルギー消費です。
今、私たちは、地球温暖化を前に、このままのエネルギー消費に輝かしい未来はないらしい事を感じています。
しかし、私たちの方が萎縮してしまっているだけなのかもと思ってしまうほど、上海の光には、膨大なエネルギーを誇示し、人類がもはや夜の闇を恐れるひ弱な存在ではない事を謳歌する意思を感じました。地球温暖化の問題が解決してしまったら、人類はやはり光溢れる未来を望み続けるのでしょうか。

2000年頃のユニクロのCMだったと思います。
ジーンズをはいた細身の人が、大きな川の前に背中を見せて立っていて、ゆっくりと振りかぶりサイドスローで小石を投げます。その人の手から放たれた少し平べったい小石は、すばらしく遠くまで水平に飛んで、それから何度も水の上ではね、最後はつつっと波紋を重ねて水の中に消えていきます。すべてがスローモーション、日の光が印象的なCMでした。
その人は終止後ろ向きで、顔は見えませんでしたが、そのサイドスローをどこかで見たことがあると思いました。左足を大きく右の方に踏み込んで、鞭のように長くのびた右腕の先から、クロスするように飛んでいく高速の物体。その後、左に巻き込まれていく右腕を追って、流れるように回転する腰と右足。
大学生の頃、私はよく後楽園球場に足を運びました。野球が大好きだったからでもあるし、その頃に描いていた漫画のための取材でもありました。特に、ある投手の投球フォームが目に焼き付いています。その若きエース投手のしなやかなサイドスローは愕然とするほど美しく、試合前の練習のときから私の目を釘付けにしました。何度も何度もスケッチし、実際、私のへたくそな漫画作品に登場させたりもしました。
石を投げるCMを見たのはたった一度きりでした。しかし、確かにあの球場で見たサイドスローと重なって見えたのです。それからしばらくして、私は当時、ユニクロのアートディレクターだった、タナカノリユキさんと知り合いました。とても気になっていたので、彼に聞いてみました。
「あの小石を投げているのは誰ですか。すばらしくきれいなフォームですよね。」
「きれいでしょう。バファローズの小林コーチです。もう50近いのにさすがプロですね。ほとんど一発で、見事にカメラの軸線に合わせて小石をジャンプさせてくれました。スタッフの誰がやってもあんな風にはならなかったなー」
ジャイアンツから阪神に移籍した名投手、バファローズを経て、現日本ハム投手コーチの小林繁氏は、17日午前11時、心不全のため亡くなったそうです。合掌。

計量感覚の話は、随分反響をいただきました。寸法を目で測れるようになる事ばかりでなく、Gurigurimomongaさんのコメントに上げていただいたフェルミ推定のように、手持ちの条件から大雑把に数量を推定することも、デザイナーに必要な能力の一つです。
先日の上海帰りに、私の乗る飛行機が大阪周辺にさしかかったとき、右方向に平行して飛ぶ旅客機を見ました。どんどん近づいてきて不安になったので、距離を推定する方法を考えてみました。
見えている機影はB777で、その全長はわかっているので、これを基準にして見かけ上の大きさと比較してみることにしました。窓に指を当てて計ってみると、窓の位置では全長が2センチぐらいに見えています。飛行機の実際のサイズはおよそこの3500倍。視野角が同じなら距離とサイズは比例するので、窓と自分の顔の距離を3500倍して約3kmと推定しました。
この推定は、かなり乱暴なものです。見かけの大きさの測定が5ミリ違うだけでも数百メートルの差になるので、簡単に数十パーセントの誤差を生むでしょう。それでも10kmでも500mでもなく、おそらく2〜4kmということが分かれば、かなり気が楽になります。
実際、ものづくりの現場では見当違いの数字を出さない事が重要な場面も多いので、こんな精度でも結構有用なのです。重要なのは、推定の手がかりとして、寸法のわかっている基準器を見つける事です。
powaroさんのコメントに、学生が極端に小さな家具を平気で描いてくるという話がありました。
引っ越しマニアというか、不動産マニアの妻は、いつもチラシの間取り図からかなり正確に広さの印象をつかんでいるので、こつを聞くと、トイレの便器を基準にしているとのこと。
キッチンシンクやドアのサイズなども、小さい家に合わせて小さくできるので、あてにならないのですが、人にフィットする便座だけは、ほとんどサイズが変わらない。それをもとに家のサイズを想像するそうです。
間取り図は便器を見るべし。
(スケッチは、人と技術のスケッチブック「航空機を作る」太平社刊より)

二泊三日で上海に行き、「新天地」という二十世紀初頭の町並みを復元した新しい観光エリアを訪ねてみました。正直に言うとあまり期待していなかったので、ちょっと感動しました。
昔の細い路地裏を再現した観光地というと、日本にもよくあるビル内のテーマパーク的飲食街を思い浮かべますが、かなり大規模で本格的。レジデンスもあり、小さな湖もあり、むしろ町の再生と言った印象のものです。石造りの建物の質感やディティールには風格があり、その中に並ぶバー、レストラン、ブティックなどの内装は現代的な感覚で細部まで良くコントロールされています。これほどに繊細で居心地の良いものに出会えるとは全く期待していなかったので、六本木ヒルズよりよほど消費意欲をそそられました。
過去の文化の表層的な再現に終わらせず、現代的なスタイルと融合させる事に成功した町並みは、ヨーロッパの城郭都市や京都の一部に好例を見いだすことができます。そういう街に共通する事は人々がその土地の文化遺産を愛し、今の生活の中にとりいれていること。
上海の他の地域を見る限り、そういうものが必ずしも大切にされているとは言いがたいし、「新天地」の石庫門建築も保存状態が悪くて新しく作られたものも多いらしいのですが、それでも、人々の心の中にある、過去の文化への深い敬意を感じることができました。やはり歴史のある国ですね。中国デザインの未来が楽しみです。
ついでに、上海に行って「上海」をやるという夢もかなえてきました。

ダイソンの羽のない扇風機を手に入れました。今ちょうど夏であるオーストラリアでは、扇風機市場におけるシェアがいきなり30%だそうです。ファンがないので「扇」風機じゃないですね。Air-multiplierという英語名からすると増風機かな。
アップルやダイソンは、いつも新しい世界を切り開いてくれます。そのもたらす未来が、マイクロソフトやGE が与えてくれる生活よりも何となく良さげに思えるのは、前の二社の商品にはある種の理想主義があるからでしょう。この会社に未来を託したいと思わせてくれる何かがある。
しかし、この二社の理想は対照的でもありますね。
アップルがいつも新しい使いやすさを提案するのに対し、ダイソンが提起するのは新しい機械原理。どちらも本質的な機能とスタイルを革新してくれるのですが、車に例えるなら、アップルは新しい運転操作をデザインし、ダイソンは新エンジンを開発します。
ユーザビリティに理想を求めるアップルと違って、ダイソンの場合は、ユーザビリティが二の次になることもあります。今回の増風機でも、首降りスイッチを押すと、スイッチそのものが本体と一緒に回り始め、止めようとする指先からスイッチが逃げ回ります。風向きを上下に変える方法にいたっては、他人がやった状況を見ない限り想像できないでしょう。
それでも、いやだからこそというべきなのかな、多少の犠牲を払ってまで追い求めたシンプルな形には、エンジニアが思い描く理想が明快に込められています。私たちはそれに感銘を受ける。
週末に訪ねてきた古い友人がこの増風機を見て「あなたもこういうの作ってよ」とあっさりとのたまいました。耳が痛い。