孤独な時間

SFC,Works — yam @ 1月 31, 2010 3:16 am

aveincad2

日産自動車に桜井眞一郎という人がいました。名車スカイラインの主設計技師を6世代にもわたって勤め「スカイラインの父」と呼ばれています。私が入社したときにその桜井さんが、技術系入社式の壇上に上がって、話をしてくれました。

「出世して、社長になって高い給料をもらいたいがために、この会社に入ったという人は、ここにはいないと信じます。」

少し挑発的な発言から始まったその講演は、ものづくりの喜びに満ちていて、大変印象的なものでした。メモもないので、不正確かもしれませんがこんな言葉が心に残っています。

「新しい車の開発が始まると、私は3ヶ月ほど自室にこもります。大きな図面台に向かって、サスペンションの軸の角度やエンジンの位置をひとつ一つ検討し、全体の計画図を書き上げるのです。長く孤独な時間です。」

出世を求めない桜井さんは、その4年後にはスポーツカー開発の子会社に移籍してしまいました。職人肌だなあと思いました。自分もそうありたいと。

私は今、その時の桜井さんとほぼ同じ年齢になり、今日もCADに向き合っています。道具は変わってしまいましたが、ものづくりの喜びに満ちた孤独な時間に迷いなく向き合えるのも、あの言葉を聞いたおかげかも知れません。

大学の研究プロジェクトでも、学生からデータを取り上げて自分で手を入れてしまう私ですが、学生たちに出世を求めるなとまでは言えません。…言ったかな。

(CAD図面はコクヨ「アヴェイン」の初期のもの)

曲面を作る

SFC,Works — yam @ 1月 28, 2010 6:09 pm

ovo

ふっくら、ぽってり、ゆったり、粘り着くような、流れるような、張りのある、しっとりとした…。こうした表現からどんな曲面を思い浮かべますか。

曲面が持つニュアンスには、それを作る素材の物性が色濃く現れます。その由来をはっきり意識する事は、立体物を作るデザイナーにとって、とても重要なことです。

固いものが研磨されてできる曲面、液体が表面張力で作る曲面、伸縮性のある膜を引っ張ったときの曲面、内部の圧力で膨らんだ曲面、成長によって形成された曲面。それぞれに全く性質が違うので、むやみに混在させる事は御法度。デザイナーは意識して使い分けます。

私が慶應義塾大学SFCで受け持っている演習授業では、「河原の小石」という課題を出題しています。

木片を削って、河原に落ちている石ころに見えるオブジェを作りなさい。

課題の目的のひとつは、頭でっかちになりがちな学生達に、自分の手でとことん立体とつき合う経験をさせることなのですが、もう一つ、自然の営みの中で生み出される曲面の「典型」を探させる演習でもあります。

面白いのは、ただ河原から石を拾ってきて、それをそのまま模写して木で作っても、少しも石には見えないことです。たくさんの石の中から、エッセンスを感じ取って典型的な石を作る事。それがうまくできると、本物の石より石らしい立体を作る事ができます。

先日、たくさんの木製の小石を持ってきた学生がいました。この課題の提出が終わってからも、半年間、少しずつ作ったそうです。求道者に出会って、ちょっと楽しくなりました。

写真は腕時計OVO(2007年)、撮影:清水行雄

奇人天才シリーズその4:石井裕さん

Genius — yam @ 1月 23, 2010 11:26 pm

ishi

奇人呼ばわりするにはあまりに有名な「世界の頭脳」を、このシリーズに取り上げるのはちょっと気が引けます。

人とコンピュータの関わりを、ディスプレイから実世界に引きずり出す革新的な技術思想 “Tangible Bits” を生み出し、世界中のインターフェースデザインに大きな影響を与えたMITメディア・ラボ副所長の石井裕さん

彼の早口は有名ですが、実際に会って話すと、壮大な論旨の中に多彩な視点を折り込み、事例や引用は先端技術から政治、古典文学に及び、「めくるめく」という言葉がぴったりのストーリーが展開されます。しかも最先端の技術コンセプトや哲学を、普段から英語で考えている方なので、興に乗ってくると90%が英語。

「ところで」と言う代わりに”By the way”とおっしゃるようになったら、後はもう「ルー語」状態です。一応日本語の形式だけは守ってくれるのですが、日本語と言える部分はほとんど「てにをは」だけ。しかも「ルー語」と違って難解な英単語のオンパレード。ある時、思わず「英語の勉強になります」と感想を言ったら、即座に「英語だけですか」と言ってしかられました。

その口調だけでなく、石井さんは私たちとは住んでいる時間が違うのではないかと思うぐらい、何をするのもハイテンポです。NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」でも紹介されたように、実際いつも走っています。その番組を見た数日後にお会いした時も、ちゃんと走って現れてくれてうれしくなりました。

そんな石井さんの来日にあわせて、先週は食事会をセッティングしました。参加してくれたのは、コンセプターの坂井直樹さん、ロボット博士の古田貴之さん、慶應大学で私と同僚の脇田怜さん。案の定、ハイテンションぶりで奇人に属する古田さんと、話題豊富な坂井さんと三つどもえで、7時にスタートして気がついたら12時。怒濤の5時間でした。

最後の方で石井さんが、十歳下の古田さんに贈った言葉が印象的でした。

「あなたのような立場の人が、理想に酔った宗教者のように、一週間も寝ない事に象徴されるような自己犠牲を良しとする発言をするべきではない。宗教家古田貴之とリアリスト古田との落差を埋めるために、ドーピングを重ねたような状態で無理に走り続けていくと、いつか必ずこわれます。実績を持つあなたがそうなったら、多くの人を巻き込んでしまう。あなたには古田貴之を信奉する若者がたくさんいる。そうした人たちを育てて欲しいし、百年後を変えるような仕事をして欲しいから、どうか体を大切にしてください」

さすがの古田さんも「心に響きました」と神妙に。いつも走っている石井さんが無理に走るなと諭す、その心優しい言葉に私も感動してしまいました。

光る都市

Off — yam @ 1月 21, 2010 3:44 pm

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世界で2番目に高いビル、上海環球金融中心(ワールド・フィナンシャル・センター)は、492mの全長を強力なサーチライトでライトアップされていました。写真ではわかりにくいですが、エッジに埋め込まれた青色LEDも鮮やかです。

しかし、もっと印象的だったのは市内の高速度道路でした。裏側の両サイドに強力なライン状の青色光源が設置され、高速道路の下面全体が延々と、鮮やかにライトアップされているのです。上海の空中を、川のようにうねりながら交差し、流れていく青い光。ただ、恐ろしく未来的な光景を作り出すためだけの膨大なエネルギー消費です。

今、私たちは、地球温暖化を前に、このままのエネルギー消費に輝かしい未来はないらしい事を感じています。

しかし、私たちの方が萎縮してしまっているだけなのかもと思ってしまうほど、上海の光には、膨大なエネルギーを誇示し、人類がもはや夜の闇を恐れるひ弱な存在ではない事を謳歌する意思を感じました。地球温暖化の問題が解決してしまったら、人類はやはり光溢れる未来を望み続けるのでしょうか。

そのサイドスローを忘れない

Off,Sketches — yam @ 1月 18, 2010 12:56 am

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2000年頃のユニクロのCMだったと思います。

ジーンズをはいた細身の人が、大きな川の前に背中を見せて立っていて、ゆっくりと振りかぶりサイドスローで小石を投げます。その人の手から放たれた少し平べったい小石は、すばらしく遠くまで水平に飛んで、それから何度も水の上ではね、最後はつつっと波紋を重ねて水の中に消えていきます。すべてがスローモーション、日の光が印象的なCMでした。

その人は終止後ろ向きで、顔は見えませんでしたが、そのサイドスローをどこかで見たことがあると思いました。左足を大きく右の方に踏み込んで、鞭のように長くのびた右腕の先から、クロスするように飛んでいく高速の物体。その後、左に巻き込まれていく右腕を追って、流れるように回転する腰と右足。

大学生の頃、私はよく後楽園球場に足を運びました。野球が大好きだったからでもあるし、その頃に描いていた漫画のための取材でもありました。特に、ある投手の投球フォームが目に焼き付いています。その若きエース投手のしなやかなサイドスローは愕然とするほど美しく、試合前の練習のときから私の目を釘付けにしました。何度も何度もスケッチし、実際、私のへたくそな漫画作品に登場させたりもしました。

石を投げるCMを見たのはたった一度きりでした。しかし、確かにあの球場で見たサイドスローと重なって見えたのです。それからしばらくして、私は当時、ユニクロのアートディレクターだった、タナカノリユキさんと知り合いました。とても気になっていたので、彼に聞いてみました。

「あの小石を投げているのは誰ですか。すばらしくきれいなフォームですよね。」

「きれいでしょう。バファローズの小林コーチです。もう50近いのにさすがプロですね。ほとんど一発で、見事にカメラの軸線に合わせて小石をジャンプさせてくれました。スタッフの誰がやってもあんな風にはならなかったなー」

ジャイアンツから阪神に移籍した名投手、バファローズを経て、現日本ハム投手コーチの小林繁氏は、17日午前11時、心不全のため亡くなったそうです。合掌。

旅客機の全長と便器のサイズ

Daily Science,Sketches,Works — yam @ 1月 16, 2010 3:08 pm

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計量感覚の話は、随分反響をいただきました。寸法を目で測れるようになる事ばかりでなく、Gurigurimomongaさんのコメントに上げていただいたフェルミ推定のように、手持ちの条件から大雑把に数量を推定することも、デザイナーに必要な能力の一つです。

先日の上海帰りに、私の乗る飛行機が大阪周辺にさしかかったとき、右方向に平行して飛ぶ旅客機を見ました。どんどん近づいてきて不安になったので、距離を推定する方法を考えてみました。

見えている機影はB777で、その全長はわかっているので、これを基準にして見かけ上の大きさと比較してみることにしました。窓に指を当てて計ってみると、窓の位置では全長が2センチぐらいに見えています。飛行機の実際のサイズはおよそこの3500倍。視野角が同じなら距離とサイズは比例するので、窓と自分の顔の距離を3500倍して約3kmと推定しました。

この推定は、かなり乱暴なものです。見かけの大きさの測定が5ミリ違うだけでも数百メートルの差になるので、簡単に数十パーセントの誤差を生むでしょう。それでも10kmでも500mでもなく、おそらく2〜4kmということが分かれば、かなり気が楽になります。

実際、ものづくりの現場では見当違いの数字を出さない事が重要な場面も多いので、こんな精度でも結構有用なのです。重要なのは、推定の手がかりとして、寸法のわかっている基準器を見つける事です。

powaroさんのコメントに、学生が極端に小さな家具を平気で描いてくるという話がありました。

引っ越しマニアというか、不動産マニアの妻は、いつもチラシの間取り図からかなり正確に広さの印象をつかんでいるので、こつを聞くと、トイレの便器を基準にしているとのこと。

キッチンシンクやドアのサイズなども、小さい家に合わせて小さくできるので、あてにならないのですが、人にフィットする便座だけは、ほとんどサイズが変わらない。それをもとに家のサイズを想像するそうです。

間取り図は便器を見るべし。

(スケッチは、人と技術のスケッチブック「航空機を作る」太平社刊より)

上海

Off — yam @ 1月 12, 2010 3:00 pm

shanghai

二泊三日で上海に行き、「新天地」という二十世紀初頭の町並みを復元した新しい観光エリアを訪ねてみました。正直に言うとあまり期待していなかったので、ちょっと感動しました。

昔の細い路地裏を再現した観光地というと、日本にもよくあるビル内のテーマパーク的飲食街を思い浮かべますが、かなり大規模で本格的。レジデンスもあり、小さな湖もあり、むしろ町の再生と言った印象のものです。石造りの建物の質感やディティールには風格があり、その中に並ぶバー、レストラン、ブティックなどの内装は現代的な感覚で細部まで良くコントロールされています。これほどに繊細で居心地の良いものに出会えるとは全く期待していなかったので、六本木ヒルズよりよほど消費意欲をそそられました。

過去の文化の表層的な再現に終わらせず、現代的なスタイルと融合させる事に成功した町並みは、ヨーロッパの城郭都市や京都の一部に好例を見いだすことができます。そういう街に共通する事は人々がその土地の文化遺産を愛し、今の生活の中にとりいれていること。

上海の他の地域を見る限り、そういうものが必ずしも大切にされているとは言いがたいし、「新天地」の石庫門建築も保存状態が悪くて新しく作られたものも多いらしいのですが、それでも、人々の心の中にある、過去の文化への深い敬意を感じることができました。やはり歴史のある国ですね。中国デザインの未来が楽しみです。

ついでに、上海に行って「上海」をやるという夢もかなえてきました。

脳内メジャー

Daily Science,Sketches,Works — yam @ 1月 8, 2010 1:15 am

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ものづくりの現場に関わると、計量感覚がかなり重要になってきます。

先日、ある学生に研究中の部品の既存製品はどのぐらいの厚さだったかと聞いたら「薄いものでした」という答え。「いやだからどのくらい?」と聞き直したら「えーと、とても薄かったです」。苦笑するしかありませんでした。

ものづくりの現場にいると、ある段階から「薄くしたい」では許されず、寸法を何ミリにしたいという明快な意思表示が必要になります。その経験を積むと、自然に携帯電話のキーをみて「(突出量が)0.2ミリないかも」とか、車のバンパー見て「8000R(曲率半径が8mという意味です)ぐらいか」とか習慣的に考えるようになってきます。

以前に、公共建築の家具をデザインして、お役所の人が試作品を確認する「検査会」に参加したときの事です。自分もその試作品を見るのが初めてだったので、ついいつもの調子で、椅子の肘掛けのエッジが、私の指示よりシャープになっていることを指摘してしまいました。

「指示した2.5Rよりも小さいと思います」「いや指示通りに作ったはずです」「どう見ても2ミリ以下でしょ」

などのやり取りがあって、結局、県の営繕課やゼネコンの担当者など関係者十数人が見守る中で、エッジの丸みを測定する事に。

工業製品のエッジは、シャープな印象のものでも、触ってけがをしない程度には丸みがつけてあります。製品をぶった切ってみると、エッジのところの断面は小さな円弧になっていて、デザイナーはその半径をR(radiusの頭文字)をつけた寸法で指示します。出来上がった製品のRを見分けるには多少経験がいりますし、製品を切断しないで正確に知るためには専用の道具も必要です。

さて、私が指摘した椅子の肘掛けは、作業員がゲージで測定した結果、エッジ断面の半径が2.5ミリあるべきところが、2ミリ弱しかなかった事が判明しました。もちろんその場で修正が約束されました。その検査会は、新しいデザインの椅子が県に承認されるかどうかの重要なお披露目にあたり、メーカーにとってはかなり緊張した会議でした。しかし、空気の読めない私が一悶着起こしたおかげか、県のお役人からは特に注文が付く事もなく、めでたく1999年に埼玉県立大学の大ホールに設置されています(上はその初期スケッチ)。

後日、「デザイナーって言うのは 、エッジの丸みの0.5ミリの違いを、見ただけでわかるらしい。」って、県庁で評判になっていたと、建築事務所の方から聞かされました。しかし、デザイナーであれば、あらゆる詳細についての計量感覚を持ち合わせている事は当然です。先の学生も、卒業までには「すごく薄い」ではなく「3.5から4ミリぐらいでした」と自然に答えらえるよう、鍛えなおしです。

未来予想図

Sketches,Works — yam @ 1月 1, 2010 12:18 pm

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あけましておめでとうございます。

この時期になると未来を語る特集がメディアを賑わせます。不思議な習性です。

私たちプロダクト・デザイナーは、少し未来の物、家電製品なら半年から2年先、乗用車なら4、5年先に売り出されるものを、日常的にデザインしています。その意味で少しは先見的な人種のはず。では、デザイナーは予言者たりうるでしょうか。

いわゆる数字で予測できる未来があります。高齢者の人口比率だとか、乗り物の移動速度とか、メモリーのサイズとか。これらの統計的予測はかなりの確率であたるようなのですが、そうなった時の車やコンピュータの形を、20年以上のスパンでちゃんと描くことができたかというと、これは結構難しい。

1980年代には、デザイナー達が空想の羽を伸ばした、21や2000という数字を冠した車や家電の未来デザインプロジェクトがたくさんありました。しかし今見ると時代を感じずにはいられません。あの頃未来っぽいと思っていた車、例えば、ドアも天井も全部透明で、ヘッドライトが横に細長いラインのような車なんか、21世紀になってもほとんど見ないですね。

なんであたらないのか?。

デザイナーが描く「明るい未来」には、現時点での私たちの幸福感や美意識が反映されます。しかし、私たちの価値観は、時代と共に大きく変わってしまいます。逆に言えば本当の未来の生活は、おそらく私たちには幸福そうとも美しいとも思えないのではないでしょうか。それ故にいつの時代にもその時代なりの「未来的なデザイン」が存在し、それは、時代とともに「懐かしい未来」になって行く。

フューチャリストと言われたシド・ミードは、こういったそうです。「私は未来予想図を描いているのではない。現代の人々が望む未来を見せているのだ。」これこそがデザイナーができる事だとも言えますね。

上は2008年に千葉工業大学のホールの緞帳のために描いた絵です。タイトルは “Horizon of the Mechatronic Galaxy”、メカトロ銀河の地平線です。川島織物の職人さん達が約2ヶ月をかけて、幅18メートルの緞帳として見事に織り上げてくれました。

(絵をクリックすると拡大画像になります)

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