水のかたちにひそむ数学

Daily Science — yam @ February 27, 2010 5:11 pm

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水道の蛇口からつーっと細く水を落とすと、元の方が太くて先に行くほど細くなって行きます。先日、ふと思いました。これは、水が落ちて行くにつれて重力に引っ張られて、だんだん速くなって行くからじゃないかと。

同じ幅の水では、流れが速いほどたくさんの水が流れます。逆に一定の水が流れている場合には、流れが速くなるとその分、細く流れることになります。人の集団が、ゆっくり道を歩いているときは横に広がってるのに、前の方が走り始めると列が細長くのびちゃうのと似たようなものです。

蛇口から落ちた水も同じでしょう。少し丁寧に言うと<水の速度>×<流れの断面積>=<流量>、流量が一定なら、自由落下で速度が上がるのに反比例して、断面積が減って行くことになります。しかし、この原理で本当にあのきれいに細くなって行く形が生まれるのでしょうか。しばし数学っぽく考えてみました。

ややこしいので細かい事は省略しますが、落下距離は速度の2乗に比例、速度と断面積は反比例、断面積は水の直径の2乗に比例、というような関係をつないで行きます。その結果、水の直径は、蛇口からの距離の-1/4乗で表されると推定しました。

この方法は「次数推定」と言って、そうすることで正確な数値を求めることはできませんが、二つの数字が描く曲線がどんな形になるかだけは想像できます。自然の中の神秘的な形が、どういう仕組みで生まれているのかを考えるには有効な方法です。

とはいえ、-1/4乗とか言っても全然イメージわきませんよね。その関係を、MacのおまけソフトGrapherで3次元に描いてみたのが上のグラフです。一応なんかそれっぽいものができました。蛇口の先に細くのびる繊細な水の形は、「落下速度に反比例して断面積が小さくなる」という単純な原理から生まれる。という事で良いようです。

私たちがきれいだなーと思う形には、しばしばシンプルな原理が潜んでいます。その形を明快に記述してくれる思考プロセスが数学。無意識の感覚を意識化するためには、数学はとても便利な道具になります。

なお、実際の水道では、途中で水のかたちが崩れてしまうのですが、そのあたりも含めてこの現象を説明した文献をご存じの方、情報をくださるとうれしいです。

ダ・ヴィンチの全日空

Off — yam @ February 25, 2010 2:05 am

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昨日、この全日空機に乗りました。まだこんな塗装あったのか、などと間抜けな事をつぶやいてしまった私に、

「いや、全日空が767を導入したのは、このデザインをやめてからなので、新しく昔風に塗ったんでしょ」と、濃ゆいことをいう妻。

昨年12月に、いくつかの路線で、この「復刻版」(B767に昔の塗装を新たにほどこしたもの)が導入されたそうです。尾翼にはダ・ヴィンチの飛行機械をあしらったマークもありました。でもあの飛行機械って、ローターの反作用で自分が逆方向に回るのを止める機構がないので、たとえエンジンを使っても原理的に飛べないようです。学研の大人の科学でも、なんとかあの形のまま飛ぶモデルを作ろうとしたけど、結局断念して2重反転ロータのものを新たに作ったみたい。飛べないものをマークにするって、大胆だよなあ。

大分空港にて。

がんばれ、ウィルコム 2

Works — yam @ February 21, 2010 10:45 pm

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ウィルコムが会社更生法の適用を申請したというニュースを聞いて、一緒にものづくりの夢を見たいろいろな人の顔が浮かびます。写真のAX520Nもそんな人たちと作りました。これが私のデザインである事は、ほとんど知られていないのですが。

「新しいエアエッジ通信カードのデザインがいまいちなので、直してくれないか」という依頼を受けたのは2004年のことでした。すでに開発は完了していて2ヶ月後には発売予定なので、中身はそのまま形だけ急いで変えてくれという依頼。

W-SIMTTなどの、基礎技術開発から参加したプロジェクトがまさに架橋であり、製品の外観と内部構造は一体に開発されなければならないという事を何度も訴えていた時期でした。当然、「デザインとはそういうものではない」と一蹴。

…したはずだったのですが、熱血漢のウィルコムの人たちに食い下がられて、引き受けることに。

既に出来上がっていた試作品は、トイロボット風のデザインでした。そのロボット君の図面を見ながら、どうしたものかと考えている最中に、ある部品が目にとまりました。それはアンテナのコアパーツ。

この新製品の売りである高効率でコンパクトな2本のアンテナの内部には、電波を効率よく受けるために小さなジグザグ形状の金属板が封入されていました。その繊細な機能美に感銘を受けた私は、アンテナ全体を透明にし、その回転軸を起点とするプレーンなスタイルを提案しました。

もとより内部を露出する事など想定されていない設計だったので、きれいに見せるための接着面や回転軸の構造まで提案し、一ヶ月のやっつけ仕事のはずが、いつの間にやら半年かけた本格的な開発に。

結果的には、5年たった今も売られていて、この業界の製品としては画期的なロングセラーになりました。その間に会社の方が危うくなってしまうのですから、わからないものです。

がんばれ、ウィルコムの人たち。

TAKEO PAPER SHOW 2010 は3人で

Works — yam @ February 19, 2010 8:42 pm

tps2010-proto-_logo

4月に開催される竹尾ペーパーショウ2010は、山口信博さん、緒方慎一郎さんと私の3人展となりました。

山口さんはブックデザインの大御所。最近は、紙を折るという伝統的な行為を、青山にあるショップ兼ワークスペース「折形デザイン研究所」で研究しておられます。

緒方慎一郎さんは、「八雲茶寮」(先日石井裕さんや古田貴之さんと食事した場所)や和菓子HIGASHIYAなどの、経営者でもありデザイナーでもある才人。新しい紙器「WASARA」の開発でも知られます。

和と紙に精通したお二人。そこに私が混ざっているのは、やはり誰が見ても不思議みたいで、昨日の記者発表でも友人のデザイン・ジャーナリストから、「なんでここにいるの?」とか言われるし。

3人でああだこうだと言い合って決めたタイトルが「proto-」。紙本来の力を体感できるペーパーショウを目指します。

proto-

[語源  portos (first;Gk) ]
原始の、根源の
最初の、主要な、本来の

protocol 作法、手続き;儀礼、典礼
proto-human 原人
protoplasm <生物>原形質
proto-planet <天文>原始惑星
prototype 原型;典型;模範、手本

出典/「グランドコンサイス英和辞典』(三省堂)他

いつも傍に紙があった。今年は「感じるペーパーショウ」。

太古の時代に生み出されてこのかた、紙は、常に人間の傍にありました。近代以降、おもに情報伝達に使われてきた紙の価値が揺らぎ始めている現在、「紙とは何か」、「紙は人間に何を与え、紙から何を受け取ってきたか」「紙を使う社会には、どんな未来があるのか」をあらためて問い直す必要があるのではないか。<竹尾ペーパーショウ2010>では、「原始」「原型」などの「原」を意味する接頭詞「proto-」をキーワードに、いま一度紙そのものの本質に立ち返りつつ、人間と紙の関係性を見直す手掛かりを、体験による実感をともなった形で提供したいと考えています。

会期=2010年4月15日(木)〜18日(日)

開場時間=4月15日(木) 13:00-21:00、16日(金)・17日(土) 10:00-21:00、18日(日) 10:00-15:00

会場=丸ビル ホール
〒100-6307 東京都千代田区丸の内2-4-1丸ビル7階 連絡先Tel:03-3217-7111

主催=株式会社竹尾
総合プロデュース=竹尾 稠
アートディレクター=山口信博、緒方慎一郎、山中俊治
編集=大谷道子
協賛=特種製紙株式会社、日清紡ペーパー プロダクツ株式会社、王子特殊紙株式会社

カンブリア紀の素描

Sketches — yam @ February 17, 2010 2:19 am

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カンブリア紀の不思議な生き物たちがちょっとしたブームになったのは、90年代の半ばでしたでしょうか。先日掲載したハルキゲニアをはじめ、神様の試作品などと言われる五億三千万年前の生物群が、S・J・グールドの著作「ワンダフル・ライフ」に紹介され、その後NHKの番組でブレーク。様々な想像図やCG、果てはロボットまで製作されてマスコミを賑わしました。

当時、そのCGやフィギュアを見て、少し違和感を感じました。きれい過ぎる…。

私たちの身の回りにいる生き物たちには、それぞれに個性があり、全くの左右対称ではありません。長く生きるにつれて汚れや欠損も出てきます。体毛や歯なども、きれいに並んでいる方が珍しいぐらい。

しかし、CGのカンブリア生物たちはあまりにもシンメトリーでつるりとしていました。歯や触手もきちんと整列し、皮膚のしわやたるみもなく、プラスチックでできた宇宙生物のよう。そのことが、こいつらの異質さをむやみに高めているのではないか、そんな風に感じたのです。

そこで数体のカンブリア生物の化石の写真を見ながら、現存の生き物のつもりで私なりに描いてみました。上の絵はその一つ、アノマロカリスの頭部です。

生物学者でもない私が文献だけを便りに描いたのですから、もちろん正確なはずはありません。でも、こういう風に描いてみると、従来の復元図よりも少し見慣れた動物に近い感じがしませんか。

リクエストがあればオパビニアやウィワクシアも公開します。

(スケッチの初出は雑誌AXIS。98年、アスキー出版「フューチャー・スタイル」に再掲載。)

クリスト!

Off — yam @ February 14, 2010 8:42 pm

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正直に言うと「クリストとジャンヌ=クロード展」は、それほど意気込んで見に行ったわけではありませんでした。なぜって、彼らの作品って、あの大風呂敷を現地で見ることに価値があると思っていたから。でも21_21 DESIGN SIGHTのひんやりした空間にずらりと並べられたクリストのドローイングを見て、久しぶりに、しばらく動けないほど感動してしまいました。

建築やランドスケープ・アートなどの巨大プロジェクトのスケッチを見る事には、アイデアの源泉に触れる喜びがあります。しかし、結局その価値は「本番」に付属するものであり、それを鑑賞する事は、実物に触れる感動を補強することでしかない。そう思っていました。でもクリストのそれは違いました。

何と言う輝かしい光景。存在感。これから作ろうとする未来の光景を、これほど明瞭にイメージできるものなのか。さほど多くはない色材を殴りつけるようなタッチで置いていきながら、完璧にコントロールされた色相と明度。現実にはあり得ない空中視点から透視される正確無比な光と陰。ビジョンと技巧の完璧な出会いに打ちのめされました。ああ、この人はこの絵だけでも人類の歴史に長く残る人なんだ、と。…いまさら、でしょうか。

会場ではサイン会が行われていました。この偉大な人物と同じ空間にいる事がうれしく、そのまなざしの変化やペンの持ち方のひとつ一つを見逃したくなくて、じっとたたずんでいたら、

「何見てんの?」と娘。

「え、あー…クリスト…さん」

我ながら間抜けな答えでした。結局、ご本人には声をかけることすらせず。でも良いのです。話してみたいと思わないほど憧れることができて大満足。また見に行こ。

らせんとふし

Bones,Daily Science,Works — yam @ 12:44 pm

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生物らしい形の典型は、螺旋と節(ふし)。先日の対談での倉谷さんの言葉です。このふたつは、いずれも生物の発生成長の過程で生まれる形です。

つるや巻貝ばかりでなく、植物の実や葉のかたちや骨のカーブなどにも螺旋曲線が現れる事はよく知られています。生物の細胞は、大きくなるほどたくさんの細胞を生み出すことができるという、一種の複利計算で増えていきます。ある一点を起点に雪だるま式にふくれあがった形が対数螺旋と言われるもので、これが多くの生物の形の基調になっているようです。

一方、節は、発生過程を見ると古い細胞を一定間隔で刻むように新しい細胞が現れる事で生まれるそうです。生物はある程度成長すると自らの体を刻んで、複雑な構造を獲得します。私たちの背骨は最もわかりやすい例ですが、例えば手も、骨が先に行くほど小さくなって、枝分かれして、ものをつかんだり、握ったりできる繊細な構造を形成しています。単調な繰り返しではなく、先に行くほど繊細になるというのも、生物の節の特徴ですね。

螺旋が単調な成長の典型であるのに対し、節は複雑化の典型です。倉谷さんが生き物とそうでないものを見分ける鍵として提示しているのは、生命の製造プロセスの痕跡なのです。

工業製品のボディは、一般的には最終的な形で製造され、それ以降は成長しないものなので、そこには螺旋や節が生まれる必然性はありません。デザイナーが形だけを螺旋にすることはもちろんできますが、研究者の目で見れば構造がそうなっていないのは明らかです。チェーンなどは、同じものがたくさんつながっていて一見、節があるように見えますが、複雑化をともなうものではないので、これもちょっとちがう。

もっとも、近頃はプロダクトも少しは成長するようになりました。ソフトウェアの世界では、リリースされた後の増殖やカスタマイズは当たり前になっています。いずれプロダクトも「成長と複雑化」を獲得して、倉谷さんにも見分けのつかない形になっていくのかもしれませんね。

写真は2005年に開催した展覧会「MOVE」の一風景です。槇文彦さん設計の青山スパイラルビル、あの場所に立つCyclopsが見たいというイメージが先にあって企画した展覧会でした。ビルの名を象徴する「螺旋」階段の中央に「節」を持つロボットが立っています。この光景を思い出して、倉谷さんの話との符合にうれしくなりました。

浦沢直樹さんのPLUTO

Works — yam @ February 11, 2010 1:06 am

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鉄腕アトムのストーリーの中でも人気の高い「地上最大のロボット」を最初に見たのは、幼い頃に買ってもらった漫画雑誌の別冊でした。なぜか上巻だけが随分後まで手元にあって、何度も読み返しました。今読み返すと本当に短いストーリーなのですが、私の中では心躍る壮大な叙事詩のままです。

そんな思い入れのあるシリーズだったので、浦沢直樹さんによるリメイク「PLUTO」の連載が始まったときは、イメージを壊されるのが不安で、見ないようにしていました。でもあらためて単行本を読むと、そんな杞憂は吹き飛びます。

手塚治虫さんは「鉄腕アトム」を、元々ロボットとしてではなく超能力少年として構想したそうです。実際、ストーリーの多くはロボット技術が主テーマではなく、むしろスペシャルな能力を持ち、それゆえに愛されると同時に差別も受ける「人間」の物語だと言う印象を強く受けます。いわば説明のために「実はロボットである」という設定が使われている構図は、ドラえもんと同じですね。

浦沢さんはそうした物語上の特性をきちんと踏襲しています。アトムの姿がリアルな普通の子供として描かれていることに衝撃を受けますが、実は手塚さんも普通の少年の姿として描いていたのだという事に、改めて気付かされます。独特の頭が「寝癖」としてリデザインされているのは笑いました。

「PLUTO」に登場する他のロボットも、技術アイデアのバリエーションというよりも、キャラクターとして設計されています。エヴァや甲殻などでは技術妄想の固まりのようなディティールが目を引きますが、浦沢さんはアトムの世界を壊さないようにそういうものを押さえたのかも。いかにも素朴なモンブラン、格闘ショー用に作られた派手な出で立ちの2体、美形のエプシロン、妖気漂うプルートゥ、それぞれにキャラ立ちがすばらしい。

中でも私はノース2号の話が好きです。ノース2号が他のキャラクターと違うのは純粋に戦闘兵器であること。その姿はずっとマントで隠されていて、兵器としての異形があらわになるのは、たった一コマ。その一コマが身悶えするほど禍々しく美しい。そして間もなく訪れる静かな終焉。

私の中では、少年の頃のあこがれの世界が見事に着地しました。浦沢さんに心から感謝です。

*写真はmorph3。2003年に研究用ヒューマノイドとして古田貴之さんと製作しました。そう言えばなんかこういう、半ば解体された状態の奴も登場してましたね.。

天使は昆虫から進化した

Sketches,Works — yam @ February 5, 2010 11:43 pm

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骨展が終わって、人前で話す機会が減ってほっとしていたのですが、このところ立て続けです。昨日はとうとうダブルヘッダー。

第1試合は、お台場テレコムセンターで行われたキッズデザインセミナー。「iPhoneを使いこなす赤子」のムービーに、皆さん相当の衝撃を受けていただいたようです。当分使えそう。

第2試合は、森美術館で開催されている展覧会「医学と芸術展」の関連イベントで、理化学研究所の倉谷滋さんとの対談。生物の形態進化と発生がご専門の倉谷さんは、本当にお話が上手なので、私自身が楽しませていただきました。

倉谷先生いわく「天使は進化発生学的に見ると、六本足の動物から進化したとしか考えられない」。生物は、進化の過程で様々な器官のつながりを急に変える事はできない(ジョフロアの法則と言うそうです)ので、鳥の翼が祖先の恐竜の前足に由来するように、天使やペガサスの祖先には、後に翼になるもう一対の足があったはず。だから天使の祖先は昆虫かもって。

他にも面白い話題が満載でした。「亀の甲羅は肋骨を折り返して作られる」「カメと鶏は発生過程が近いので、甲羅のある鶏ができるかもしれない」「目の構造は完成度が高すぎて、他の『見る器官』の進化を阻んでいる」「人を解剖したときに、最も生々しくその人を感じてしまうのは手だった」「生物らしい構造は螺旋と節」「腕時計の部品が耳小骨に似ている」「生物は最初にマイクロマシンを開発して、後にテコのようなマクロな構造を作り上げた。」

どのタイトルでもブログ記事一本かけてしまいそうです。

お話の中にカンブリア爆発の話も出てきて、グールドの「ワンダフル・ライフ」を読んだときの感激を思い出しました。当時、自分でもやってみたくなって化石の復元図のつもりで描いた「ハルキゲニアの想像図」を、古いHDからサルベージしてきました。書いたのは1996年です。7対の足に7対のとげ。こいつならたくさんの翼でも大丈夫。あー、ルシファーだとまだ足りないか。

空気が乾く

Daily Science — yam @ February 4, 2010 1:23 am

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坂井直樹さんのブログで見事な水滴の写真が紹介されていたのでそのまま拝借。

子供の頃、「湿度70%」が不思議でした。「空気中に含まれる水分の量」と聞いて、空気全体の七割が水なのだと思ったのです。すると本当の空気は3割しかない!。そんなに水が空中にあったら溺れちゃうかも。中学生になって、空気が水蒸気を抱え込める量には限界(飽和水蒸気量といいます)があって、その限界に対して、70%なのだということを知りました。だから湿度100%でも溺れる事はないと。

さて、暖房を入れたりストーブを焚いたりすると「空気が乾いて、喉が痛くなる」と感じる人はたくさんいるでしょう。ヒーターでタオルを乾かすように、熱が水分をどこかへ飛ばして空気そのものを乾かすイメージがありますが、考えてみると妙です。タオルの場合は水が空気中に逃げていく、でも空気を乾かすといっても、水の行き場がないし。

ではなぜ乾くのか。実は。気温が上がると空気の飽和水蒸気量は大きくなります。つまり、ストーブによって暖められた空気は、抱えている水の量は変わらないのですが、水を抱えられる器が大きくなる。余裕ができた空気はあたりの水分を吸い上げ、当然、私たちの体の水分も奪います。タオルなども乾きやすくなるので、「空気が乾いた」と感じるのです。

逆もあります。水をいっぱい抱えた空気の温度が下がると、今度は器が小さくなって、やがて水を持っていられなくなります。その結果、空気から放り出された水が「露」です。冷やされた空気は、水を持ちきれなくなって、ガラスの上や、葉っぱの上に水を置いていく。

温度によって水を抱え込める器の大きさが変わる。中学で習ったような気がしたのですが、先日妻とスタッフに話したら感心されてしまいました。そして昨日はSFCの学生達にも…。

結局また、理科の授業みたいになってしまいました。

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