浦沢直樹さんのPLUTO
鉄腕アトムのストーリーの中でも人気の高い「地上最大のロボット」を最初に見たのは、幼い頃に買ってもらった漫画雑誌の別冊でした。なぜか上巻だけが随分後まで手元にあって、何度も読み返しました。今読み返すと本当に短いストーリーなのですが、私の中では心躍る壮大な叙事詩のままです。
そんな思い入れのあるシリーズだったので、浦沢直樹さんによるリメイク「PLUTO」の連載が始まったときは、イメージを壊されるのが不安で、見ないようにしていました。でもあらためて単行本を読むと、そんな杞憂は吹き飛びます。
手塚治虫さんは「鉄腕アトム」を、元々ロボットとしてではなく超能力少年として構想したそうです。実際、ストーリーの多くはロボット技術が主テーマではなく、むしろスペシャルな能力を持ち、それゆえに愛されると同時に差別も受ける「人間」の物語だと言う印象を強く受けます。いわば説明のために「実はロボットである」という設定が使われている構図は、ドラえもんと同じですね。
浦沢さんはそうした物語上の特性をきちんと踏襲しています。アトムの姿がリアルな普通の子供として描かれていることに衝撃を受けますが、実は手塚さんも普通の少年の姿として描いていたのだという事に、改めて気付かされます。独特の頭が「寝癖」としてリデザインされているのは笑いました。
「PLUTO」に登場する他のロボットも、技術アイデアのバリエーションというよりも、キャラクターとして設計されています。エヴァや甲殻などでは技術妄想の固まりのようなディティールが目を引きますが、浦沢さんはアトムの世界を壊さないようにそういうものを押さえたのかも。いかにも素朴なモンブラン、格闘ショー用に作られた派手な出で立ちの2体、美形のエプシロン、妖気漂うプルートゥ、それぞれにキャラ立ちがすばらしい。
中でも私はノース2号の話が好きです。ノース2号が他のキャラクターと違うのは純粋に戦闘兵器であること。その姿はずっとマントで隠されていて、兵器としての異形があらわになるのは、たった一コマ。その一コマが身悶えするほど禍々しく美しい。そして間もなく訪れる静かな終焉。
私の中では、少年の頃のあこがれの世界が見事に着地しました。浦沢さんに心から感謝です。
*写真はmorph3。2003年に研究用ヒューマノイドとして古田貴之さんと製作しました。そう言えばなんかこういう、半ば解体された状態の奴も登場してましたね.。