パラリンピックの熱狂

SFC,Technology and Design — yam @ 9月 23, 2012 8:41 am

記憶が新しいうちに、パラリンピックの観戦について少しばかり感想を記録しておこうと思います。

メインスタジアムがあるストラットフォードの駅に着いた時から、膨大な人の列に驚きました。それをジョークを交えながら誘導し、盛り上げる案内係の人たち。顔に英国旗をプリントして気勢を上げながら歩く若者達。その中を楽しそうに進む障害を持った人たち。巨大なスタジアム周りの空間演出にもわくわくしながら会場に入った私と学生達を出迎えたものは、圧倒的な大観衆でした。オリンピックスタジアムは8万人が収容できるのですが、それがびっしりと満員なのです。

会場アナウンスが、これから出場する選手の個性を、パラリンピック独特の複雑なクラス分けと一緒にとてもわかりやすく紹介します。その度に熱狂的な拍手と大歓声。そして自然に起こるウェーブ。日本の障害者スポーツ大会のがらんとした観客席に慣れてしまっていた私と学生達はこれだけでもう涙ぐんでいました。

ここに来ている人たちは心からゲームを楽しんでいます。次々に記録を塗り替えるパラリンピアン達が賞賛と感動の大歓声を浴びているのを見て、学生のひとりが言いました。「いろんな問題が、こんなにシンプルになっちゃうんですね」と。

そんな中で私たちの義足研究仲間でもある高桑早生選手は、真っ先に飛び出す力強い走りで見事予選を突破しました。決勝の結果は7位でしたが、未来につながる成績です。あのオスカー・ピストリウス選手の勇姿も生で見ることが出来ました。

実を言うと、私たちがデザインしたスポーツ用義足の世界大会でのお披露目は、次の機会になりました。高桑選手は、私たちと一緒に開発した新しい義足と、ここ数年使って実績のある義足の両方を持って選手村入りしたのですが、最終的には古い方を選びました。新しい義足の完成がぎりぎりになってしまい、調整し切れなかったそうです。調整の負担をかけてしまったことを謝罪したのですが、逆に彼女に励まされてしまいました。
「あやまらないでください! たった3年でここまで完成させてくれただけでもすごいことです。来年の世界大会ではこの義足で走るつもりですよ。」
私たちの夢はまだ続きます。

最後にもう1枚写真を。槍投げ競技で投げた後の槍を選手のもとに返しに行くミニ「ミニ」の勇姿です。

 

本を書くということ

SFC,Works — yam @ 6月 1, 2012 10:09 pm

ここの所ずっと書籍の原稿に追われていたので、ブログを更新することができませんでした。しかし、ようやく書き終わりつつあります。完成間近の本のタイトルは、「カーボン・アスリート  —美しい義足に描く夢」。この3年間ずっとやってきた義足デザインプロジェクトの活動記録です。

自分は文章がうまいとは決して思いませんが、多くの人が読みやすいと言ってくれます。しかしそもそも、文章の読みやすさとは何でしょうか。

小説家の平野啓一郎さんは、「小説を売ろうとすると結局はマーケティングの話にしかならないけれど、小説にデザインの発想を導入することで新しい書き方ができるのではないか。」と提言しています。純文学として読者に伝えたい重たいテーマには、今の読者はなかなかじっくりとつきあってくれなくなっているので、リーダビリティということ念頭に置いて小説をデザインしているそうです。

これは面白い考え方だと思いました。製品デザインには、提供できる性能とは別に、ユーザビリティという考え方があります。性能のいいカメラも使いにくいと十分にその性能を提供することがでないので、私たちデザイナーは慎重に検証を重ねながら「使いやすさ」をデザインします。文章にも伝えるべき内容とは別に、読者を内容にアクセスしやすくするためのデザインがあるのではないかというのです。

それを聞いて、どうせ書くなら私はデザイナーだから、その「リーダビリティ」にこだわってみようかなと思って文章を書いています。このブログでも、基本的に長い文章は書かない、専門用語はできるだけ日常用語に置き換える、説明には日常的な光景の例えをつかう、などを心がけています。

もうひとつ、気に留めていることは言葉のリズムです。最近の速読術では、音に頼ると読むスピードが遅くなるので視覚だけで読めと言いますが、私自身は、声に出して読んだときのリズムを考えながら書いています。読み慣れていない人ほど、語り口を必要とするのではないかと。まあこのやり方をしている限り、平野さんのような視覚的にも絢爛な文章は、到底書けそうにありませんが。

写真は、女子短距離走者の高桑早生選手のためにデザインしたカーボンファイバー製の義足です。義肢装具士さんと連携しながら、すでに四世代目。ようやく実戦に耐えるようになってきました(写真は Ver. 3.0)。書籍「カーボン・アスリート」でも、この開発ストーリーが主テーマの一つになります。自分で言うのもなんですが、泣けます。楽しみにしていてください。

刊行は7月。もっと読みやすくしたくて、まだ字句をちょこちょこいじったりしています。

 

有人小惑星探査船 その3

SFC,Sketches,Technology and Design — yam @ 1月 4, 2012 5:26 pm

宇宙船デザインの話の第3回、これで最後です。

探査船のサイズや形は、全体の行程と密接に関わっています。最初に選定した行き先候補である3つの小惑星それぞれに、必要な燃料の量がかなり違うので一概には言えませんが、中央の居住区は直径約10m、タンクを含めた直径は小さくても約30mになりそうです。構造質量だけで数十トン、燃料を含めた出発時重量は数百トンのかなり巨大な宇宙船です。

ミッション開始にあたっては、まず、たくさんのロケットで繰り返し部品や推進剤タンクが打ち上げられ、軌道上で組み立てられます。最後に乗員も打ち上げられ、完成した居住区に乗り込み、いよいよメインエンジンが点火されて出発。フル加速で(といってもせいぜい1Gで数分、0.3Gで数十分ですが)地球軌道を脱します。

空になったタンクは、航行の各段階ごとに捨てられて行きます。タンクだけでなく、最終的にはこの宇宙船はその大部分を宇宙に放棄して帰ってくることになります。もったいないと思うかもしれませんが、再利用のために丈夫にすると重くなりますし、それを持って帰るのにも燃料がいるので、できるだけ薄く作って使い捨てていく方が合理的で現実的なのです。(スペースシャトルは、回収、再利用のできる経済的な宇宙船として華々しくデビューしましたが、結果的にはメンテナンスと打ち上げのコストがかさみ、財政上の悩みのタネになってしまいました。)

上のモックアップの写真は、行きの加減速を終了し、小惑星にたどり着いた頃の形です。すでに多くのタンクを放棄し、帰路の加減速に必要な推進剤だけを保持しています。下の図は全体行程を図式化したものです(クリックで拡大)。

約3ヶ月後、ようやくこの宇宙船は目標とする小惑星から数百メートルの距離まで近づきます。直接に小惑星に着陸することはせず、ひとり乗りの探査ポッドが射出されて小惑星の一角に着陸することになるでしょう。小惑星の重力は非常に小さいので、着陸というより「しがみつく」が正しいかもしれません。

いくつかのミッション(サンプルの採取や観測装置の接地、計測、実験など)が実施され、それが終了すると帰路につきます。さらに約3ヶ月をかけて再び地球軌道上に戻ってきます。

地球の軌道上に戻ってくるころには推進剤タンクはすべて放棄され、中央の多面体の居住区とその先端についた再突入カプセル(先端の円錐状の部分)だけになっています。3人の乗組員が再突入カプセルに移乗し、最終的には居住区も放棄され、カプセルだけが大気圏に突入します。パラシュートで海上に着陸したカプセルを地上班が回収してミッション終了になります。偉業を達成した3人は熱狂的な出迎えを受けることになるでしょう。

以上、長い初夢でした。そう言えばこの宇宙船、まだ名前を付けていません。公募したりすると、なんとなく国家プロジェクトっぽくなるかな。

*写真:清水行雄

気がついたら「豪華すぎるトークショー」になっていた件

Exhibition,SFC,Technology and Design — yam @ 11月 21, 2011 2:21 am

11月23日にこんなトークショーがあります。

出演者は、あいうえお順で

不思議な金属生物のような楽器を使って、世界のあちこちで前衛的なパフォーマンスを行い、大ヒットしたオタマトーンなどの不思議な製品を作り続ける明和電機社長の土佐信道さん

ユニクロやAUなどのクールなウェブをデザインし、インフォバー2の操作画面をデザインし、「デザインあ」などの番組も手がけるインターフェースデザイナーの中村勇吾さん

JAXAで様々な衛星の開発に携わる一方で、フィクションの技術考証によりコアなSFファンの間でも「野田司令」の愛称で知られる宇宙機エンジニアの野田篤司さん

「日蝕」により23歳という若さで芥川賞を受賞し、その後も「葬送」「決壊」「ドーン」など幅広い小説を書き続け、コミックモーニングでも「空白を満たしなさい」を連載中の小説家、平野啓一郎さん

とても忙しい方々なので、出演を依頼したときには、きっとお一人ぐらいは予定が合わないだろうと覚悟していたのですが、皆さん参加してくれることになって、1時間半ではとても皆さんの魅力を引き出せないような豪華すぎるトークショーになりました。

トークショーのタイトルは「未知の領域へ広がるデザイン」。実は4方ともデザインについては深く語り合ったことのある人たちで、「デザイン」という言葉をとても大切にしてくれています。

一方、どの方も普通の意味の「デザイナー」ではありません。

土佐さんは、過去にもサバオやノックマン、ジホッチ何ど様々な製品を開発していますが、そのデザインは決してグッドデザインには収まらず、デザインとアートの垣根をガラガラ壊してくれる人。

肩書きにデザイナーとあるのは中村さんだけですが、ご存知のように中村さんは、プログラムベースのとても深い所で人と情報の出会いを設計し、従来の「デザイン」の枠には全く収まらない人です。

野田さんは、宇宙機エンジニアでありながら、スペースシャトルを形ばかりの失敗作としてばっさりと切り捨てる一方、宇宙機は美しくなくてはならないと主張し、とても魅力的な絵も描く多才な人。

平野さんは、小説「かたちだけの愛」ではプロダクトデザイナーの生態を見事に書き表し、ご自身の小説の構造や読みやすさについても「小説のデザイン」という言葉で明確に語ってくれます。

そんな4人と、「デザインの枠に収まらないデザイン」について語り合ってみたいと思います。短い時間の中ですが、皆さん個性的かつ知性あふれる方々なので、興味深いお話になることまちがいなし。お時間のある方は是非お立ち寄りください。

上の絵は4人のツイッターアイコンを、アプリ風にアレンジしてみたものです。

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慶応義塾大学SFC  Open Research Forum 2011 プレミアム・セッション

「未知の領域へ広がるデザイン」

場所:東京ミッドタウン 4F カンファレンスルーム9
日時:11月23日(水・祝)12:00~13:30
入場無料 事前登録不要

ミッドタウンホールでは研究室の研究成果を展示しています。そちらも合わせてご覧ください。

http://orf.sfc.keio.ac.jp/

「失われたものの補完」を超えて

SFC,Technology and Design,Works — yam @ 11月 14, 2011 12:02 am

写真は、開発中の女性用義足のモックアップです。現時点ではあくまでもイメージモデルであり、まだこれで歩くことはできませんが、これをトリガーとして開発を進めようとしています。開発に協力してくれている女性は、板バネの義足を使って走るアスリート。きれいな人なので、足を作るのも緊張します。

義足は紀元前の昔から作られてきました。ただの棒のような物も多く使われて来ましたが、一方で、常に本物に似せるべく芸術品に近い物も製作されました。義足は失われた下肢を補完するものであり、その目的には、歩行機能の回復だけでなく外観の回復も含まれているのです。

作り方が近代化したのは第一次世界大戦直後。大量の傷病兵に対応しなければならなったヨーロッパで、それまではひとつ一つ手作りだった義足製作がシステム化されます。パーツはモジュール化され、金属パイプと量産の接続パーツを組み合わせて、低コストで大量に作られるようになりました。その結果、機能的には向上したものの、外観は本物からは遠い物になってしまいました。

そこで現在では、その金属骨格に肌色のスポンジとシリコンのカバーをつけて外観を似せた、コスメチック義足が作られています。中には、指ひとつ一つまで再現された精巧な物もありますが、それでもよく見れば質感の差は隠せません。残念ながら多くの切断者たちが、現状のコスメチック義足に満足していないのは事実です。日本には義足使用者は8千人ほどいるらしいのですが、ほとんどの人はコスメチック義足を使わず、金属の骨格をそのまま服の下に隠しています。いつかは本物そっくりで、機能的にも十分な物が作れる時代が来るのかもしれませんが、それはまだ先のようです。

今、私たちは、違う道を模索しています。見てもわかる通り、本物の足にはまったく似ていません。人工素材で作られる機能的な人体としての、人工的な美しさを目指しました。一方、左右のバランスをとるためにシルエットとしては人体を引用しています。人の体にはリズミカルな「反り」があるので、カーブしたパイプを使っています。ふくらはぎの部分の白い着脱式アタッチメントは、パンツをはいたときに足の形を自然に見せるためのパッドのようなもので、これも運動機能には全く寄与しないのですが、足の形をきれいに見せるための重要なパーツです。

立つことしかできないモックアップなのですが、それでも彼女はこれを喜んでくれ、何時間も写真撮影につきあってくれました。いつかは、こんな義足で町を歩く人も普通に見かけるようになり、友人たちが「その足いいね。」って自然に言えるようになることを夢見ています。

義足デザイナーの小説を書いた作家の平野啓一郎さんと対談では、エイミー・ムランという有名な両足義足のモデルさんが話題になりました。彼女が「私には12本の足がある。身長だって変えられる。」と笑いながら話す映像は、とても印象的でした。

そう、そろそろ「失われたものの補完」という考え方から離れて、もっと自由に表現しても良いはずです。

*平野さんとの対談第5回
「義足は道具か、それとも身体か──喪失が新しい創造の場所になる」 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110901/282540/

*写真の義足は、11月22日、23日の二日間、六本木のミッドタウンで開催される慶応義塾大学SFCの研究発表会、OPEN RESEARCH FORUM 2011で展示されます。
SFC Open Research Forum 2011 – 学問ノシンカ
http://orf.sfc.keio.ac.jp/

設計と計算、身体感覚にたよるには315年早い

SFC,Technology and Design — yam @ 9月 6, 2010 11:11 pm

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研究室に入ったばかりの学生達に動く機械を作らせると、プレゼンテーションの場でイメージ通りに動いてくれない作品が続出します。摩擦が大きすぎたり、力が足りなかったり。手で支えていないと立たないものもあります。

「さっきまでは動いてたのに…」と学生は残念がりますが、むしろ動いていたというのが奇跡としか思えないものばかり。理由は簡単です。「設計」ができていないから。動く物を動くように作るためには、エネルギーと構造をちゃんと設計する必要があります。私たちの体で言うと筋肉と骨格ですね。

目標とする動きを得るためには、モーターを使うなら十分な出力の物を選び、必要な電力を見積もる必要があります。そのためには一応の力学と電気の知識が必要です。力を伝えたとたんにゆがんでしまうような構造で何かをさせるのは無理。強度や剛性を見積もる科学は結構難しいので、多くの学生は試行錯誤に頼りますが、少なくとも正確な図面による製作ができないと、何度やっても前には進みません。

アイデア段階で、自分の手でものを動かしながら、こんな動きをする装置を作りたいと学生達は言いますが、そこにまず落とし穴があります。

私たちは自分の体にかかる力を身体感覚として知っています。しかし、当たり前の事ですが、これから作る骨格筋肉と、私たちの脳はつながっていません。だからその力や強さを知るための、科学という客観的な物差しを学ぶ必要があるのです。

先日も紹介した、九代目玉屋庄兵衛氏が図面を引かない事に私が驚嘆したのは、現代の動力機械の設計には、このような計画図と計算が欠かせないからです。

九代目の場合はからくり人形に必要な力や構造を、まるで自分の体のように見積もります。バネの強さや糸にかかる力を指先で計り、手応えで剛性を確認します。身体感覚だけで粛々と進んでゆく九代目の作業を目の当たりにして、人間の感覚の可能性に感動しました。

もちろん、そんな身体感覚を身につけるのは簡単ではありません。少なくとも玉屋氏のもとで、15年は学ぶ必要があるようです。三百年の歴史と15年の修行の積み重ねがない学生諸君は、ちゃんと計算しましょうね。

写真左は大学院生の設計ノート(撮影:吉村昌也)
右は弓引き小早船(撮影:清水行雄)

手元を見て学んでもらうしかないとき

SFC — yam @ 4月 27, 2010 10:48 am

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大学の教員である前にデザイナーである私は、学生達と進める研究プロジェクトにおいても、私自身が対象物をデザインしてしまうことが少なくありません。

走行用義足のプロジェクトの中でも、膝継手(上の写真)の開発においては、私自身がスケッチを描き、CADデータも作成しました。

調査活動や議論の段階では学生達に積極的に参加してもらいましたし、義肢装具士や切断者達との折衝も学生達が中心になって行ってきました。メーカーとの会議にも学生達は参加していて、彼らのアイデアが実用化につながった部品もあります。

教育としては、学生達に自由にデザインさせながら、助言し、見守り、彼らなりの成長を促す事が好ましいでしょう。実際、私のワークショップ形式の授業では、そのような形で進めるのが普通です。

しかし膝継手の設計は、学生には難易度が高すぎました。バイオメカニクスの先端にあり、高度な製造技術による精密機械でもあり、その上、厚生労働省の資金によるメーカーとの共同開発プロジェクトなので、スケジュールは厳守なのです。

例えば上の写真の小さな部品の多くは既存の市販部品ですが、その選定理由を知った上で、メーカーのエンジニアが作成したレイアウト図の意図を的確に読み取り、見た目と機能を同時に向上させる再配置を、非常に短期間で逆提案する必要がありました。もちろん、それぞれの部品の加工可能性も配慮されなければなりません。

最終的には「客に出すものは、料理長がやるしかない」状態になりました。こういう時は、私の手元を見てろとしか言いようがないので、できるだけ学生達の目の前でスケッチを描き、刻々とCADデータを見せるようにします。質問があれば語りながら設計を進めることも。

だから学期の始めに研究室の学生達に話します。「場合によっては私がデザインしてしまう。しかし、その時こそ学べるチャンスなので、私の一挙手一投足を見逃すな」と。

本音を言うと責任のかかった中での模範演技は、結構しんどい。

風をはらんで、命を宿す

SFC — yam @ 4月 12, 2010 5:23 pm

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Takeo Paper Show 2010 [proto-] のために、SFCの学生達ともうひとつ展示物を作りました。

テーマは「風と紙」。

紙は、水に溶けた繊維が網にすくいあげられてシート状になるところから作られて行くのですが、それだけでは完成しません。繊維の間から水を追い出し、空気を含ませる、すなわち乾燥させることによって、私たちが良く知っている「軽さ」を獲得します。

その軽さ、薄さのおかげで、紙は私たちの生活に広く浸透しています。毎日、膨大が紙が軽やかに情報を運び、重量を付加する事なく大切なものを包み、汚れをぬぐい去り、消えて行きます。こうした大量消費を支える軽さは、紙が社会の中で活躍するのための生命線であるとも言えるでしょう。

このような紙の軽やかさを表現する作品として、「風をはらんで、命を宿す」という作品を制作しました。紙は風にあおられて、はかなく舞います。どこかに行ってしまうように見えて、ふわりと舞い戻るしたたかさも見せてくれます。紙の循環は「水と紙」、「風と紙」二つの作品に共通するテーマになっています。

展示には、ダイソン社に協力をいただきました。最新のテクノロジーと紙の共演を楽しんでください。

(Photo: Hideya Amemiya)

卒業

SFC — yam @ 3月 28, 2010 2:04 am

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卒業の季節ですね。SFCに研究室を持つようになって2年、当初から一緒にやってきた学生達の卒業は感慨深いものがあります。

手探り状態の2年でした。工学部の設計課題のまねごと、美大の課題のまねごとから始めてみました。私自身がここで何を教えるべきなのかを迷いながらの研究会でしたから、決して効率の良い教育ではなかったでしょう。それでも学生達は本当に多くの時間を私と研究室の仲間のために費やしてくれました。

行く先が見えなかったよちよち歩きが、少しづつ統合され、いくつかの成果にまとまり始めています。それが、アスリートのための義足だったり、骨展に展示されたロボットだったり、まだ発表できていない○○だったり。

大学院に進む学生とは、もう少し長いつきあいになりそうです。ほとんど独学のロボティクスでFlagellaを作り上げた二人は、ドクターコースに進みます。修士に進む学生の繊細な指先は、今後の活動の中心となってくれるでしょう。

その一方でこの二年間、中核だった三人が就職して行きます。肉食係女子と草食系男子という言葉がよく似合う3人でした。初回の研究会でいきなり私にかみついた「かみつき系」女子は、本当に力強くプロジェクトを引っ張ってくれました。もう一人の肉食系女子は、最初のプレゼンで痛烈にこき下ろしたにもかかわらず、シャープな言語感覚を発揮し、骨展や義足プロジェクトの根幹となる思想に気づかせてくれました。4本脚のニワトリを描いた草食系男子は強い責任感を発揮して物静かに多くの仲間を引っ張ってくれました。

五十を過ぎてふらりと大学にやってきた私と、二十を過ぎてこれから社会に出て行く学生達の一瞬の乗り合わせ。

あっという間の二年でしたが、生涯、忘れることはないと思います。

フィールドテスト

SFC,Sketches — yam @ 3月 19, 2010 1:40 pm

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フィールドテストに立ち会いながら、二つのことをとてもうれしく思いました。

ひとつは、迷惑をかけてばかりとはいえ、うちの学生が義肢制作の現場に受け入れられ、義肢装具士の方の指導をあおぎながら一緒に作業していたこと。

もうひとつは、若い義足ランナーが、私たちのデザインした義足で何度もトラックを走ってくれて最後に、「今日は本当に楽しかった」と話してくれたこと。

どちらも、義足製作や障害者スポーツの場を、初めて見学したときに思い描いた光景でした。しかし、その時点ではデザイナーがほとんど関わっていないこの医療現場に、私たちが受け入れられる可能性については全く自信が持てませんでした。

デザインは、適切に機能すれば、いかなる場面いかなる場所においても、少なからず人を幸せな気分にする力を持っています。それは、ささやかな幸せかもしれませんが、その力は決して無力なものではありません。しかし同時に、しばしばデザインが「余裕がある人のためのもの」としか理解されていない場も経験してきました。そういうデザインの空白エリアを見つけては、首を突っ込むのは私の性なのですが。

実際に関わり始めてみると、私たちの知らないことがあまりにも多く、何ができるのかを探るところから始めざるを得ませんでした。私と学生達は義肢製作の現場、学会やリハビリセンターなどに足を運び、研究者や医療従事者を訪ねて義肢についての勉強を始めました。ヘルス・エンジェルスという下肢切断者を中心とするスポーツクラブの練習会などに何度も参加し、学生達も一緒に身体を動かしながら、何が必要とされているかを考えてきました。

人との接し方やプロジェクトの進め方には学生達もだいぶ悩んだみたいで、時には無力感も感じ、研究室で学生同士が激しく言い争う場面も少なくなくなかったようです。他のチームメンバーから「義肢チームはいつもギシギシしてる」などという、笑えない報告を何度聞かされたことか。

手探りの一年半でしたが、文字通り走り始めたことを実感できるこのごろです。

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