「失われたものの補完」を超えて
写真は、開発中の女性用義足のモックアップです。現時点ではあくまでもイメージモデルであり、まだこれで歩くことはできませんが、これをトリガーとして開発を進めようとしています。開発に協力してくれている女性は、板バネの義足を使って走るアスリート。きれいな人なので、足を作るのも緊張します。
義足は紀元前の昔から作られてきました。ただの棒のような物も多く使われて来ましたが、一方で、常に本物に似せるべく芸術品に近い物も製作されました。義足は失われた下肢を補完するものであり、その目的には、歩行機能の回復だけでなく外観の回復も含まれているのです。
作り方が近代化したのは第一次世界大戦直後。大量の傷病兵に対応しなければならなったヨーロッパで、それまではひとつ一つ手作りだった義足製作がシステム化されます。パーツはモジュール化され、金属パイプと量産の接続パーツを組み合わせて、低コストで大量に作られるようになりました。その結果、機能的には向上したものの、外観は本物からは遠い物になってしまいました。
そこで現在では、その金属骨格に肌色のスポンジとシリコンのカバーをつけて外観を似せた、コスメチック義足が作られています。中には、指ひとつ一つまで再現された精巧な物もありますが、それでもよく見れば質感の差は隠せません。残念ながら多くの切断者たちが、現状のコスメチック義足に満足していないのは事実です。日本には義足使用者は8千人ほどいるらしいのですが、ほとんどの人はコスメチック義足を使わず、金属の骨格をそのまま服の下に隠しています。いつかは本物そっくりで、機能的にも十分な物が作れる時代が来るのかもしれませんが、それはまだ先のようです。
今、私たちは、違う道を模索しています。見てもわかる通り、本物の足にはまったく似ていません。人工素材で作られる機能的な人体としての、人工的な美しさを目指しました。一方、左右のバランスをとるためにシルエットとしては人体を引用しています。人の体にはリズミカルな「反り」があるので、カーブしたパイプを使っています。ふくらはぎの部分の白い着脱式アタッチメントは、パンツをはいたときに足の形を自然に見せるためのパッドのようなもので、これも運動機能には全く寄与しないのですが、足の形をきれいに見せるための重要なパーツです。
立つことしかできないモックアップなのですが、それでも彼女はこれを喜んでくれ、何時間も写真撮影につきあってくれました。いつかは、こんな義足で町を歩く人も普通に見かけるようになり、友人たちが「その足いいね。」って自然に言えるようになることを夢見ています。
義足デザイナーの小説を書いた作家の平野啓一郎さんと対談では、エイミー・ムランという有名な両足義足のモデルさんが話題になりました。彼女が「私には12本の足がある。身長だって変えられる。」と笑いながら話す映像は、とても印象的でした。
そう、そろそろ「失われたものの補完」という考え方から離れて、もっと自由に表現しても良いはずです。
*平野さんとの対談第5回
「義足は道具か、それとも身体か──喪失が新しい創造の場所になる」 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110901/282540/
*写真の義足は、11月22日、23日の二日間、六本木のミッドタウンで開催される慶応義塾大学SFCの研究発表会、OPEN RESEARCH FORUM 2011で展示されます。
SFC Open Research Forum 2011 – 学問ノシンカ
http://orf.sfc.keio.ac.jp/
[…] designer and Keio University professor showed a photo of his developing artificial leg for women on his blog […]
あまりの美しさに息をのみ、そして激しく戸惑いました。
ぼくはごくありふれた近視者ですが、ぼくがおしゃれなメガネをかけていたら友人は「そのメガネいいね」と言ってくれるでしょう。それと同じように「その足いいね」という言葉が機能してくれる世界が、きっといつか来てくれるでしょう。だけど、そんな世界がやって来るよりもはるかに早く、今すでにこのような美しい義足を身につけている人に対して、どのようにその美しさを伝えることが、今のぼくにとってそして当の使用者にとって、正当なのでしょう。事態はあまりに繊細に思われました。
すごく美しく、少し怖いです。ビジュアルと記事に感動を覚えつつ、洗練を極めると日常では異物となるのではないかとか、色々なことを考えました。
でも、パンツをはいたときに足の形を自然に見せるためのパッドという記述に胸を撫で下ろします。なんとなくそこが日常とのブリッジのような気がしました。優しいということです。
shidouさん
コメントありがとうございます。
眼鏡は、医療器具が日常的なものとなり文化となったひとつのモデルケースとしていつも参考にしています。
義足の場合は、どうしてもデリケートな問題にならざるを得ないのは私たちも同じです。ついつい自分の言動に正当性を求めてしまう感覚が少しでも和らいで、自然に接することができる時代が来ることを願っています。
たなかじゅんさん
まさにおっしゃる通り、どこまで自然に日常性に落とし込めるかが、重要な課題だと思います。まだまだ模索中ですが、これからも時々報告して参りますので、コメントいただけると幸いです。
すばらしい義足の写真を見せて頂き、驚きを感じています。私は大学の理学療法学科で義肢装具学の講義を担当していますが、先生の美しい義足という言葉に視点の違いを感じています。私は以前から一般の人たちが、義足を見ると気持ちが悪いという言葉を聞いて、一般の人たちから受け入れられる、形を見て気持ちが悪くない義足とはどの様な義足かを調査しようと考えていましたが、先生の美しい義足というお考えを読ませて頂き、私の視点が広がりました。有難うございます。
かっこよくて、ちょっと艶っぽいデザインですね。
この写真の義足は、“このような靴を履いた足”に対してバランスをとっていると見えますが、ということは、ヒールの高さをはじめ履きたい靴に合わせて義足全体を着け替える、という扱いになるのでしょうか。それとも、靴と同じように足首近傍から“履き替える”運用になるのでしょうか。
自分がこうしたものを履いて歩く、着けて歩く、いずれそういうことがあるかもしてないと想像すると、いろいろな局面が気になります。靴とバランスした接地圧や、グリップ力はどうだろうかと考えると、とても刺激的で面白いですね。もっと読みたい題材だと思います。
okoze1941さん
おっしゃる通り考えなければならないことは満載です。
実はこのまま靴を履けるようなエラストマーのアタッチメントも考えているところです。
進展したらまた報告します。ありがとうございました。
いずたにとしひこさん
ご専門の方からそのように言っていただき、光栄です。
まだまだ至らない所もあり、これからも努力して参りますのでご指導ください。
ありがとうございました。
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