ミニカーは実車の縮小ではない

Daily Science,Works — yam @ 5月 14, 2010 5:46 pm

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乗用車のミニカーは、実物の単なる縮尺ではないのをご存知でしょうか。クルマの設計製造に使われるボディの三次元データを使って、例えば1/43とかに縮小して精密加工でモデルを作れば、完全なミニカーができるはずです。ところがそのようにして作られたモデルを実際に見てみると、ちっともらしく見えないのです。

実際にカーデザインの現場で、正確なスケールモデルを何度か見たことがありますが、その印象は一言で言うと、ぺらぺら。実物を見ると抑揚の強いスポーツカーのボディも、縮小するにつれて、フラットな四角いクルマに見えてきます。

この「スケールによる曲面感度の差」について、ちゃんと調べた文献に出会ったことはないのですが、デザインの現場ではポピュラーな知識です。駆け出しのカーデザイナーだった頃に、スケールモデルと実物の違いについては十分気をつけるよう注意されました。乗用車をデザインする時は、最初はスケールモデルを作って、拡大して実物大にするのですが、その時点で、改めてデザインし直す必要があるのです。

曲面のニュアンスと大きさの関係をちゃんと認識しておかないと、CADで工業製品をデザインするときにも結構厄介なことになります。コンピュータの画面ではどのような縮尺で表示する事も可能なので、なかなかスケール感がつかめません。

例えば腕時計などは、画面上では随分大きく表示できますが、この状態で角を柔らかく造形したつもりでも、できてみるとシャープ過ぎてびっくりというようなことが起こります。逆に乗用車では、表現が大げさすぎて、笑っちゃうようなものになったり。画面に人物のモデルを配置して比較してみたりしても、あまり効果はないようです。小さなものは小さいサイズで、大きなものは大きいサイズでデザインしろという事ですね。

最初の話に戻ると、市販のプラモデルやミニカーでは、原型師と言われる人たちが彫刻のように手で削って、実物と同じ印象になるよう曲面を作ります。ある意味「正確』ではないのですが、そうやって人の感覚で作った物が結局、一番「らしく」見えるのです。

Fig: INFINITI Q45 and OVO wristwatch, photo by Yukio Shimizu.

tagtypeキーボードがMoMAの永久所蔵品になりました。その2

Works — yam @ 5月 13, 2010 3:39 am

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tagtype Garage Kitの開発においては、エンジニアリング設計と意匠デザインの区別は全くありませんでした。

ユーザーが回路や構造体を自分で組み立て、必要に応じてカスタマイズできる事を目標にしたキットとして、内部構造も回路も、わかりやすく、機能的かつ美しく設計されなくてはならないと考えたのです。

通常は見えないものとして設計される基板は、ここではユーザーが理解しやすいよう機能別に分割され、電子回路そのものも信号の流れの視覚化を意識してデザインされました。基板の素材についても外装色にあわせて、白いボディ用には白、黒いボディ用には黒い基板が使われ、基板と基板をつなぐハーネスの色さえも、シルバーとブラックにコーディネートされました。

これらの基板を支えるのは、電子機器としては珍しい、レーシングカーやバイクのようなアルミのフレームです。ワイヤレスにしたり、ディスプレイを直結したりするなどの機能を追加するために、ユニバーサル基板(汎用の基板)を含めて複数の基板をかかえることができる構造にしました。カスタマイズのための内骨格構造ということですね。

人間工学的な最適化を目指した特徴的な形状のキーは、プラスチックバネの繊細な構造体に一体成形されて支えられています。基板に直接手が触れないよう外装カバーを備えていますが、部構造が露出されるよう最小限かつ半透明にデザインされました。

ここで開発された、金属プレートの内骨格を、柔らかいエラストマーで挟み込む新構造のグリップは、後にOXOのキッチンツールに応用されています。

Photo by Yukio Shimizu

tagtypeキーボードが、MoMAの永久所蔵品になりました。

Works — yam @ 5月 11, 2010 3:32 am

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あまり広報していませんが、昨年、両手親指キーボード tagtype Garage Kit が、ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されました。

この選定は、私にとっては、特別な意味を持ちます。tagtypeキーボードをデザインする以前の私は、様々なプロダクトをデザインしながら「まだ理想には遠い」と感じていました。製品は、技術開発の根幹から、外観も中身も、ソフトウェア至るまですべて一貫した美意識に貫かなければならない。そう考えていたのですが、そんなことを依頼するクライアントがあるはずもなく、自分でやる技術力もなく…。

その状況が変わったのは、2000年前後。東京大学で私の教え子であった田川欣哉が、私のスタッフとなり、本間淳が外部スタッフとして参加してからでした。

二人は、ともに優秀なメカトロニクス・エンジニアであり、プログラマでした(特に本間は、そのうち奇人・天才シリーズで取り上げたいタイプなのですが、その話は別項目で)。この二人となら、とりあえず全部、自分たちでできる気がしたのです。私は、田川欣哉が1999年に卒業論文の中で考案した日本語入力方式をベースに、汎用のキーボードを開発することを提案しました。もちろん事業化の見込みは全くなかったのですが。

約20歳下の二人との共同作業は、本当にわくわくするものでした。 彼らは芸術的技能の訓練を受けた事はありませんでしたが、私の感覚をよく理解してくれました。恐ろしくよく働いて急速に成長して行く二人の力を借りて、私は、あらゆる設計ディティールに、それこそ回路やソフトウェアの構造にさえ、自分の美意識を込めることができたのです。

2000年に私たちはこの共同作業の成果であるtagtypeキーボードの初号機を発表し、翌年には、同じ3人で作ったロボットCyclopsを発表します。いずれも大きな反響を得ました。その頃から私の理想は絵に描いたモチではなくなって行きました。

このキーボードの第二世代の開発は、2003年から田川が中心になって企画から進めました。外観と基本構造は一応私がデザインしましたが、田川の提示する技術コンセプトにのせてもらった感じです。本間もまた、自分の会社をすでに持っていましたが、様々なアイデアを追加してくれ、私たちは、2004年にtagtype Garage Kitを20セット製作しました。

振り返ってみれば、私の理想の実現には、人から育てる事が必要だったのでしょう。出会った頃には学生だった二人は、私の理想のパートナーとなり、いつしか私を引っ張ってくれるようにもなりました。そして今や二人は、それぞれに独立したデザイン・エンジニアとして活躍しています。

結局、tagtypeプロジェクトは、初号機もガレージキットも製品化には至っていません。つまりこのプロジェクトは今のところ、私と二人の教え子が一緒に遊んだ「理想ものづくりごっこ」のままなのです。だからこそ、その作品が、ニューヨークの美しい美術館の中に、3人の名前と共に永久に保存されることになったことは、本当に痛快です。

Photo by Yukio Shimizu

tagtype Garage Kitは、Leading Edge Design Corp のもとで、山中俊治、田川欣哉、本間淳により開発されました。現在はtakram design engineeringが開発を受け継ぎ、商品化を進めています。

ジャンボに込められた美意識

Daily Science — yam @ 5月 5, 2010 4:59 pm

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田川欣哉君が、まだ私のスタッフだった頃に、20世紀最高のデザインは何ですかと私に問いかけたことがあります。ぱっとついて出たのは「ボーイング747」でした。昨年、「クラシック・ジャンボ」と呼ばれるオリジナルシリーズ最後の747の現役引退が話題になりましたが、その時の会話で私がイメージしたのは、この初期型のジャンボでした。

私は「航空機を作る」という本を制作したときに、ボーイング777の開発プロセスを半年かけて取材しました。777は、”Working Together”というかけ声のもとに、全世界の航空会社や部品メーカーを巻き込んで、徹底した合議制で作られた飛行機です。ボーイング社は、広範なニーズ調査から出発し、運用の現場から要望と問題点を吸い上げ、製造の現場からも改善提案を募ることによって、市場にきめ細かくフィットし、高品質、低運用コストの航空機を作り上げました。

どこかで聞いたようなものづくりですが、それもそのはず、開発責任者の何人かは、トヨタをはじめとする1980年代の日本メーカーに学んだ開発プロセスであると明言しています。その結果、777は機体故障が極端に少ない航空機として、近年では最も成功した機種となりました。

でも私は何か物足りなさを感じていました。有り体に申せば、777の設計には美意識のようなものが希薄だったのです。

一方、747という航空機の構造や外観には、たまたまそうなったというような曖昧な物ではく、はっきりとスタイリング上の意思を感じます。ジャンボを特徴づけるコクピット周辺の豊かなボリュームと、ピンと跳ね上がる巨大な尾翼をつなぐ緊張感のあるライン。それを中央で支える主翼の付け根のたくましいふくらみ。そこから伸びる巨大な主翼のシャープさ。これらの要素が彫刻家の手になるかのように完璧なバランスで収まっています。貨物輸送機への転用を考えて設計されたと言われる2階建てのコクピットにしても、とてもやむなくそうなったとは思えない見事な曲面で構成されています。

特に私は、747の離陸を、真横よりも少し後方から見るのが好きです。空に向かって巨大な頭部を徐々に持ち上げ、それを追うように4つのエンジンが上を向きます。その後方には、大地に横たわる空気塊を抱えて大きく展開されるフラップ群、それとは逆に地面をこすらないようにピンとはね上げられた尾翼。離陸のための力を溜め込んだような緊張感をたたえながら少しばかり走った後、ゆらりと地面を離れます。そして、上昇と共に、ゆっくりと車輪を引き込み、フラップを閉じて、徐々に細身になって行く。

747は、エンジンを支えるパイロンの有機的なラインを始め、ディティールにも777にはない繊細さが込められています。777の開発ストーリーを取材中、私はエンジニア達に、ぶしつけな質問をしてしまいました。「777のスタイルには747ほどの美意識が感じられないのはなぜか」と。技術者達は口を揃えて、777も747も合理的な設計の結果である事に変わりはないと主張しますが、747の形についてしつこく食い下がると最後には、「偉大なサッターが決めた事だ」という言葉が何度も帰ってきました。

747の開発ストーリーには設計リーダー、ジョー・サッターの人間臭いエピソードがいろいろありますが、ボディから放たれる神々しいほどの生命感は、偉大なサッターとベテランぞろいだったという設計チームが込めた美意識なのでしょう。

航空機には、他の工業製品と同様に、いやもしかするとそれ以上に、設計者の思想と美意識が強く形に現れると私は考えています。もちろん異論もあるでしょう。航空機は、しばしば「機能的に洗練させるだけで結果的に美しいもの」として「機能美」の代表例のように語られて来ました。しかし、その結果を見ると、同じような構成の旅客機でも美醜の差が歴然とあります。私は777の取材を通じて、また、その後に航空機メーカーと仕事をする機会も得て、航空機設計はデザインそのものであると確信しました。

文献を見る限り、747の設計には、内装を除いてデザインの専門家が関わっていたと言う話は出てきません。しかしそれでも、いやだからこそ、この機能と美意識の奇跡的な適合を成し遂げた「ジャンボ」を、20世紀デザイン史上の傑作であると認めざるを得ないのです。サッターもまた、アレック・イシゴニスなどと同じように、工学設計と意匠設計が同居する巨匠であったと考えるべきなのでしょう。

以下はジョー・サッターの言葉から

「747には独特の威厳がある。乗客にしろ、パイロットにしろ、そこを気に入っているわけだが、それこそが人類に貢献している点で、その貢献は無視できないほど大きい。」(日経PB社刊「747ジャンボを作った男』前書きより引用)

クラシックジャンボの引退では多くの人が惜別の情を表明しました。新シリーズ747-8には、新しい理論と製造技術の成果であるしなやかな曲面翼が与えられています。燃費、安全性ともに大幅な改良が施されるでしょう。しかし、「一貫した美意識」が失われてしまったように感じるのは私だけでしょうか。

図版は1968年に747一号機を導入したパンナムの発表資料(航空大辞典より転載)

飛行機の墓場

Sketches — yam @ 5月 3, 2010 10:55 am

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米国アリゾナ州ツーソンの近くの砂漠にそれはありました。見渡す限りの地平線に延々と並べられた数百の飛行機。現役を退いた飛行機が解体を待って置かれているこの場所を、航空関係者達は「飛行機の墓場」と呼びます。ここを訪ねたのは12年ほど前。

あたりは40度を超える暑さなのですが、乾燥しているのでそれほど不快ではありません。頭からペットボトルの水をかぶるとたちまち乾いて行きます。この乾燥した気候のおかげで金属が錆びにくいのを利用して航空機が保管されます。必ずしも古いものばかりではなく、就航待ちの新しいものもあるようでした。

砂漠の中の道路を走っていると、案内役の航空会社の人が地面を指差して何かを叫びます。見ると巨大な褐色の蛇が、砂漠の蛇特有の横滑りで道路を横切って行きます。「あいつは毒はない』と運転手は笑って言いますが、私達にとっては異世界感たっぷり。

広大な駐機場の外れには、いつから置いてあるのだろうという航空機がたくさんありました。翼にはエンジンの代わりに重しがぶら下げられています。これがないと重量バランスがとれず、翼が折れてしまうのだそうです。航空機はとても軽く設計された結果、大きさの割に金属量が少なく、採算が取れないのでなかなかリサイクルが進まないとか。

狭い国土の日本にはあり得ない光景でした。上はこの時の取材をもとに「航空機を作る」という本の為に描いたイラスト。私たちが訪ねたのは民間の保管場でしたが、Google Mapで探すと下のような写真にも出会えます。

ついった始めました

Off,Works — yam @ 4月 29, 2010 11:42 pm

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遅まきながらtwitter始めました。アカウントはYam_eyeマリコさんの結婚式ハッシュタグで、みんなが盛り上がっているのを見てつい。

同じ日に水野学さんが始めていてびっくり。

やってみると、なるほど中毒性があり、某雑誌が「ツイッター亡国論」などぶつのもわからんでもないと思いました(読んでいませんが)。まあしかし私たちは、マイカー亡国論もテレビ亡国論も、インターネット亡国論も乗り越えてきました。アーツアンドクラフト運動だって、乱暴に言えば「産業革命亡国論」だったと言えるかもしれません。

急速に広まる新技術へのこうした悲観論は、いつの時代も、私たちが大切な何を失いつつあることを教えてくれる重要な警告です。おそらくまた、大切な何かを失う事になるのも間違いないでしょう。だからと言って滅びるとは限らないのが、人間のしたたかなところではありますが。

人と技術の仲を取り持つデザイナーとしては、何を失いつつあるのかに敏感である必要があります。デザインがそれを補完できると考えるのは、思い上がりかもしれません。しかし、少なくとも悲観的な警句を新たな価値創出のきっかけにすることはできるでしょう。

ブログの方がまとまった事を話しやすいので、Twitterで意見表明はしないと思います。多分「なう」も言わない。ゆらゆらと受け身で皆さんのつぶやきに、ただ反応していたい。アイコンをCyclopsにしたのもそういう意味です。

Photo by Yukio Shimizu

手元を見て学んでもらうしかないとき

SFC — yam @ 4月 27, 2010 10:48 am

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大学の教員である前にデザイナーである私は、学生達と進める研究プロジェクトにおいても、私自身が対象物をデザインしてしまうことが少なくありません。

走行用義足のプロジェクトの中でも、膝継手(上の写真)の開発においては、私自身がスケッチを描き、CADデータも作成しました。

調査活動や議論の段階では学生達に積極的に参加してもらいましたし、義肢装具士や切断者達との折衝も学生達が中心になって行ってきました。メーカーとの会議にも学生達は参加していて、彼らのアイデアが実用化につながった部品もあります。

教育としては、学生達に自由にデザインさせながら、助言し、見守り、彼らなりの成長を促す事が好ましいでしょう。実際、私のワークショップ形式の授業では、そのような形で進めるのが普通です。

しかし膝継手の設計は、学生には難易度が高すぎました。バイオメカニクスの先端にあり、高度な製造技術による精密機械でもあり、その上、厚生労働省の資金によるメーカーとの共同開発プロジェクトなので、スケジュールは厳守なのです。

例えば上の写真の小さな部品の多くは既存の市販部品ですが、その選定理由を知った上で、メーカーのエンジニアが作成したレイアウト図の意図を的確に読み取り、見た目と機能を同時に向上させる再配置を、非常に短期間で逆提案する必要がありました。もちろん、それぞれの部品の加工可能性も配慮されなければなりません。

最終的には「客に出すものは、料理長がやるしかない」状態になりました。こういう時は、私の手元を見てろとしか言いようがないので、できるだけ学生達の目の前でスケッチを描き、刻々とCADデータを見せるようにします。質問があれば語りながら設計を進めることも。

だから学期の始めに研究室の学生達に話します。「場合によっては私がデザインしてしまう。しかし、その時こそ学べるチャンスなので、私の一挙手一投足を見逃すな」と。

本音を言うと責任のかかった中での模範演技は、結構しんどい。

科学的思考と (o_o)

Daily Science,Works — yam @ 4月 23, 2010 3:31 am

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科学的思考というと、正確で事実に即した考え方という印象を多くの人が受けると思います。でもそれは科学的態度の本質ではないと私は考えています。むしろ科学的思考の根幹は、事実をありのままには見ないことにあるのではないでしょうか。

(o_o)のような絵文字を多くの人が顔だと認識しますが、考えてみるとこんな顔の人は世の中には一人もいません。本物の目はただの丸ではないし、口も一本の線ではない。いろいろなところに毛が生えていたり、凹凸が会ったり。私たちの脳は、そうした顔のディティールを省略して、顔の典型をシンプルな形で憶えているようです。実は科学的思考もこの絵文字と同じように、世界を単純化して理解する方法の延長線上にあります。

例えば、力学の基本に、慣性の法則というのがあります。「力が加わらなければ物体はどこまでもまっすぐに進み続ける」というものです。しかし見回してみると、そんな物体は私たちの身の回りには見当たりません。物は支えがなければ落ちるし、動きはいずれ止まります。地上にはいろいろな力が働いていて「どこまでもまっすぐ」なんてシンプルな運動はおこらない、それが私たちが経験できる事実です。

それでもニュートンは、この「どこまでもまっすぐ」を、物体の複雑なふるまいの基本のひとつと考えました。そういう物体を想定することによって、摩擦や空気抵抗や、変形などの複雑な現象をその上に積み上げて行くことができる、そう考えたのです。言うなれば、眼という複雑な器官から、まつげや瞳孔やまぶたなど諸々の複雑さを取り除いた o o がこの法則なのです。

もちろん絵文字と違って、科学者は、その単純な法則が本当に事実のエッセンスになっているかどうかを、実験や観測で確かめようとします。そのときに「厳密さ」という科学者の態度が登場するのですが、厳密に検証された法則といえども、人が考えたある種の表現である事には変わりがありません。

科学の法則は単なる事実ではないからこそ美しいのです。ニュートンの描いた力学の体系がどんなに本物の顔っぽく見えても、やはり事実の似顔絵であった事は、アインシュタインがもっとスケールの大きな似顔絵を描いて、思い出させてくれました。

私は、自分が直感的に生み出す形が、科学が描く世界の似顔絵にフィットする事を願っています。デザイナーが描く形の妥当性を厳密な態度で検証することはできませんが、絵文字程度には、らしくありたいものです。

参考:寺田寅彦「漫画と科学」

来場、ありがとうございました

Bones — yam @ 4月 19, 2010 12:29 pm

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[proto-] 感じるペーパーショウ」には、連日、たくさんの方に来場頂きました。ありがとうございました。

最終日の閉演30分前に、「水より生まれ、水に帰る」の網のベルトコンベアのつなぎ目に亀裂が入りました。ホッチキスで応急措置をしてどうにか最後まで持たせましたが、危うく断裂するところでした。完成したのも開催直前でしたが、耐久性もギリギリだったようです。

「風をはらんで、命を宿す」では、ダイソン社の羽根のない扇風機は全く問題なく働いてくれましたが、空中に浮かぶ紙のくらげ達(私たちは、スカイフィッシュと呼んでいます)は、かなり損耗しました。学生達がひとつひとつお椀型に漉いたスカイフィッシュは、風に煽られ続けるうちに繊維が抜けて薄くなり、だんだん形が保てなくなるのです。会期中も作り続けて、用意した数十枚が最後は底をつきました。

このように、最短のスケジュールで進行し、予定期間以上の耐久性を持たず、無駄なく使い切る設計を、エンジニアリングでは最適設計と言います。なんちって、ほんと、すべてが綱渡りでしたが、最後までなんとか皆さんに楽しんでいただけてほっとしています。

全体としては、大勢のクリエイターたちが様々な紙の使い方を提案するという、一昨年までのペーパーショウとは随分おもむきが違うものになりました。

私たちが日常的に接している、メディアとして、あるいは使い捨ての素材としての紙に、既に限界が来ている事は明らかです。そうした中で、改めてマテリアルとしての「紙」に触れてもらう事を中心に展示構成を組み立てました。高度な印刷技術も映像も、センサーを使ったインタラクティブな仕掛けもほとんど使わず、ひたすらに紙の物性を訴求する。そういうコンセプトは非常に初期の段階で山口さん、緒方さんとの共通認識になりました。おかげではっきりとしたメッセージを発することはできたように思います。この3人を指名してくれた竹尾さんにとても感謝しています。3人のディレクターの間で行われた議論については、いずれゆっくりと紹介させてください。書籍化も予定されていますし。

多くの方から感想を寄せていただきました。ハッシュタグ#TPS2010で皆さんのつぶやきも読めます。感想ブログを収集していますので、コメントやトラックバックなどで伝えていただければ幸いです。

ワニトンマに告ぐ

Bones — yam @ 4月 17, 2010 10:38 am

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ワニトンマさん

東京にお住まいでしたら、是非今日の夕方、東京丸ビル
7階ホールの竹尾ペーパーショウに来て下さい。お会いしたいです。

山中俊治より

上の絵は、私が小学校低学年の頃に作ってしょっちゅう描いていた、「ワニトンマ」というキャラクターです。もう記憶が定かではありませんが、こんな感じだったと思います。昨日のエントリーにこんなコメントがつきました。

私も子供のころその海で泳いだ記憶があります。
ビーチボールが流されて泳いでも追いつけず困っていたところ
地元の子が颯爽と泳いで、取ってきてくれたことを思い出しました。
ちなみに私のおばあちゃんは像のような人でした。

Comment by ワニトンマ — April 16, 2010 @ 10:05 pm

私の祖母はゆったりとした物腰で優しく、本当に象さんのような人でした(お顔もそんな感じ)。小学生の頃、祖母の家の近くの海にいとこ達と海水浴に行きました。流されたビーチボールの記憶もあります。その上、HNがワニトンマですから、私の子供の頃をよく知っている人の書き込みである事は間違いありません。

でも父の兄弟は多く、「象さん」を祖母に持ついとこは山ほどいて、いまいち誰なのか特定できないでいます。連絡先わからない人もたくさんいるし。なので、ワニトンマさんに私信でした。ごめんなさい。

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