今年も今日で終わりです。
宿題を提出しないまま年越しをしたくないので、グッドデザイン賞副委員長および審査委員をなぜ辞めたかについて、簡単に触れておきます。
八月のグッドデザイン賞審査会において、一部の審査員の、容認しがたいずさんな審査を見てしまいました。しかし、そのユニットの審査対象には私の作品が含まれていたので、審査に口出しすることを潔しとせず、その場で辞任することを持って警告することにしました。その後、何度か話し合いの場を持ち、現段階では自浄作用を期待して静観することとします。
結果がはっきりとするのは早くとも半年後なので、その時点でまたこの場を借りて報告させていただきます。
お台場のガンダムプロジェクトが金賞になったのが気に入らなかったのではないかという噂があるようですが、ちがいます。
辞任して、その足でお参りに行きました。
良いお年を。
MyTABユーザーが選ぶ 2009年展覧会 Best 15というランキングに、「骨」展が7位に入っていました。MyTABで、ユーザーのリコメンドが多かった順だそうです。記事中の下記の記述をうれしく思います。
定評の高いアーティストの個展が多数を占める結果でした。その中で、「骨」展や「ステッチ・バイ・ステッチ」展といった、骨や刺繍という馴染みのあるテーマに工夫を凝らし取り組んだ企画展がランクイン。
「骨」展のようなテーマ性のある企画展は、有名作家の個展や大きな財団のコレクション展に比べて、入場者を集めにくいものなのだそうです。しかし、おかげさまで多くの来場者の皆さんの支持をいただき、上記の結果となりました。
会場で行った来場者アンケートでも、これまでの21_21企画展の中でも最も高い満足度だったそうですが、実際に楽しんでいただけた事がここでも確認できてほっとしています。
もともと、ブログを始めようと思ったきっかけは、「骨」展の準備過程での喜びを、多くの皆さんに知ってほしいという思いでした。日々の制作現場の様子と、ディレクターが感じる緊張感と高揚感をリアルタイムで伝えるためには、ブログという方法が最適に思えたのです。
当初の目的からは離れて緊張感からは解放されました。まだ当分は続けます。
年末はどこへ行っても混んでいますね。
必要に迫られて買い物にでかけ、歩き回ったものの、気に入る物がちっとも見当たらないことがあります。そういうときは買わない決断も大切。買えなかった経験は、そのアイテムをデザインするための強いモチベーションになります。よし、私がなんとかしようと。
逆に言うと、ショップに行けば魅力的な物にたくさん出会える商品については、今一気持ちが盛り上がらない。別に自分がデザインしなくても…とか。
怠惰の言い訳になってしまいそうですが、私があまりソファや小椅子をデザインしない理由は、おそらくここにあります。多分、食器をデザインしてこなかった理由も。デザイナー達がこぞって家具をデザインするところをみると、自分もひとつ、と思う方が自然なのかもしれませんが。
スケッチは1999年に提案したエアコン。まさに、自分が何とかしてやろうと意気込んでデザインしました。おだやかな風を部屋の遠くまで運ぶための、「向きの変わる本体」+「帆のような膜状の構造物」の提案。今でも気に入っているアイデアのひとつです。
ダイソンの羽のない扇風機を手に入れました。今ちょうど夏であるオーストラリアでは、扇風機市場におけるシェアがいきなり30%だそうです。ファンがないので「扇」風機じゃないですね。Air-multiplierという英語名からすると増風機かな。
アップルやダイソンは、いつも新しい世界を切り開いてくれます。そのもたらす未来が、マイクロソフトやGE が与えてくれる生活よりも何となく良さげに思えるのは、前の二社の商品にはある種の理想主義があるからでしょう。この会社に未来を託したいと思わせてくれる何かがある。
しかし、この二社の理想は対照的でもありますね。
アップルがいつも新しい使いやすさを提案するのに対し、ダイソンが提起するのは新しい機械原理。どちらも本質的な機能とスタイルを革新してくれるのですが、車に例えるなら、アップルは新しい運転操作をデザインし、ダイソンは新エンジンを開発します。
ユーザビリティに理想を求めるアップルと違って、ダイソンの場合は、ユーザビリティが二の次になることもあります。今回の増風機でも、首降りスイッチを押すと、スイッチそのものが本体と一緒に回り始め、止めようとする指先からスイッチが逃げ回ります。風向きを上下に変える方法にいたっては、他人がやった状況を見ない限り想像できないでしょう。
それでも、いやだからこそというべきなのかな、多少の犠牲を払ってまで追い求めたシンプルな形には、エンジニアが思い描く理想が明快に込められています。私たちはそれに感銘を受ける。
週末に訪ねてきた古い友人がこの増風機を見て「あなたもこういうの作ってよ」とあっさりとのたまいました。耳が痛い。
スケッチに込められる動きは、必ずしも描かれる対象の動きではない。むしろ、観察者の動きこそが込められる。
少し離れたものを眺めていて形がよくわからないとき、私たちは、頭の位置をいろいろに変えてみます。それによって、見えなかった部分が見えることもあるのですが、理解を助けるのはそれだけではありません。
頭を動かせば手前にあるものは速く動き、奥のものはゆっくり動きます。スポットライトの反射や、磨かれた曲面への写り込みは、ほんの少しこちらが動くだけで意外に大きく流れます。私たちの認識力は、自分の動作に伴う環境の変化には非常に敏感なので、わずかな変化も見逃しません。それゆえに、少し視点を移動させるだけで、入り組んだ立体構造や、複雑な曲面の表情、質感までもが刻々と伝わって来るのです。
逆に言えば、一枚の写真やスケッチだけで立体を伝える事は大変難しいということです。写真家はそれをライティングで工夫しますが、私は一枚のスケッチに観察者の動きを入れることを試みます。それは、自分が動いたときに現れるであろう変化とペン運びとの関係を意識することです。
まず、少しでもこちらが動けば劇的に違ってしまうであろうアングルを選ぶこと。そして、曲面に沿って流れる光やハイライトの方向にペンを走らせること。暗く動かない陰の斜線はそうした流れに無関係のストロークで描くこと。角で切れっぱなしになるラインはあえて境界線を越えて走らせ、向こう側に回り込むラインは勢いを殺して小さく回すこと。などなど。
CADを使えば、光の変化をシミュレーションしながら、立体を自在に回転させられる現在、こうしたテクニックに、どれほどの意味があるのか。
それを問うのは野暮っつうもんです。
(上図はコクヨ”AVEIN”の初期の脚部構造スケッチ、2006年)
骨展忘年会の土佐さんによるオタマトーン演奏もすごかったですが、もう一つ地味にすごい光景を見てしまいました。
参加者の一人がつれてきた一歳半のお子さんが、ふと父親のiphoneに手を伸ばしたのです。まだほとんど意味のある言葉も話せないのに、左手でそれを持ち、右手の人差し指でキーをスライドさせて、こともなげにロックを解除させました。唖然として見ていると、そのままアプリ一覧をスクロールして、ipodアプリを立ち上げ、自分が映っているビデオや、家族の写真を拾いだしてきて、こちらを見てにっこり。
画面の3分の一ほどしかない小さな指が、右に左に写真をスルーする様は圧巻です。それに飽きると、別なメディアアート系のアプリを立ち上げて、父親に見せたりもしていました。
特に教わる事もなく、見よう見まねで触っているうちに使いこなしたのだとか。他のケータイは使えないそうです。
少し前に、工学部の学生と、アップルはなぜ一つボタンにこだわるかという議論をしました。「もうひとつか二つボタンがあるだけで、格段に使いやすくなるのに」という学生に、iPhoneのインターフェースは「やってみればわかる」を基本にしているからじゃないかと私は答えました。
複数のボタンを機能させるためには、必ずある種の決めごとが必要になります。その決めごとは文字や記号で表示されることになり、それを理解しない限り、そのキーを使うことはできません。アップルはそういう言語的な決めごとを嫌ったのでしょう。
その徹底ぶりを確認できた一場面でした。
寒いですね。こういう日は本当に太陽が恋しい。
太陽のエネルギーは、地上を暖め、水と大気を還流させ、すべての生命活動を支えています。総量としては人類が使うエネルギーなど問題にならないほどふんだんに降り注いでいるはずなのに、どうも私たちはそれをうまく使うことができません。
例えば、ソーラーカーレースに出場する車は、たいてい畳六畳分ぐらいの巨大な太陽電池を広げて走っています。あんな大きなパネルを背負っているのに意外にパワーがなく、加速は緩いし、悪路や坂道も苦手です。 (more…)
私のオフィスで骨展参加アーティストたちの忘年会がありました。 (more…)
私が最初につくったロボット作品“Cyclops” (サイクロプス、2001年制作)は、人を見つめ、視線で追うだけの怠惰なロボットでした。“Ephyra”(エフィラ、2007年制作)は人が触るとびくっとするだけ、“flagella”(フラゲラ、2009年制作)にいたってはのたうち回るだけ。いずれも「働かないロボット」です。ロボットという言葉の語源は元々「労働」なので、「働かない」のはいわゆる形容矛盾ですね。 (more…)
私は普段スケッチを描くとき。太めのゲルインキボールペンを使います。これを使い始めたのは、2006年の「機能の写像」展のときでした。 (more…)