飛行機をデザインするというのは昔からの夢の一つでした。今回は映像作品ですが、自分がデザインしたものが大空を飛ぶシーンを見ることができたという意味では、少しばかり夢が実現しています。
前方に尾翼を持つ複葉機というのは、1903年に初めて動力飛行に成功したライト兄弟のフライヤー号と同じ形式です(前方なのに尾翼ってなんか変ですが、「前尾翼」というらしい)。未来的なスタイルを与えることで、過去と未来を同居させたいと考えました。
とりわけ気を使ったのは、機体そのもののデザインよりもむしろ飛び方。しなやかに滑らかに、そして軽やかに舞うように飛んで欲しくて、もっと横滑りさせてとか、翼にしなりをいれてとか、何度も柴田さんに注文を付けてしまいました。
そう言えば20年近く前に一度だけ、複葉機を操縦したことがあります。トロントの航空博物館を訪ねた時のこと。展示室の片隅で椅子に座ったパイロット服のじいさんが手招きするので近寄ってみると、小さな滑走路にあるクラシックな木製複葉機を指差しながら、あれでトロントの空を飛んでみないかと。
その複葉機は前後2座のタンデム機。言われるがままに前の座席に座って、足下から突き出ている棒状の操縦桿を握ると、いきなりガクガクゆれる。どうやら後部座席の操縦桿と連動しているらしく「わしがこれをゆらしたら、お前が操縦しろ」。えっ、えっと思う間もなく小さな飛行機はあっという間に空へ。
広大なカナダの大地に見とれていると操縦桿が再びガクガク揺れて、それから数分間、その複葉機は私のものでした。想像以上にクイックな挙動にびくびくしながらも、紅葉のトロントの街がよく見えるよう、旋回したり機体を傾けたり。夢のような時間…。
そんな体験が活きたかどうかはわかりませんが、WOWさんのおかげで、今回もとても気持ち良く飛ぶことができました。
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私とパナソニックさんのおつきあいはとても長くもう15年以上になります。その間、家電製品の未来や、パナソニックという会社のデザインのあるべき姿について、何度も議論し、たくさんのものをデザインしてきました(製品化にいたらなかったモデルが死屍累々ですが )。今日のパナソニックのデザインに少なくない影響を与えちゃってるかもしれません。
で、今回はムービー制作。欧州向けにパナソニックデザインのプロモーションビデオを作って欲しいという依頼でした。もちろんショートフィルムとはいえ、自分の作品プレゼン用しか作ったことない素人の私がひとりで作れるはずもなく、パートナーとして選んだのは、今をときめく映像制作会社WOWさん 。私の方でコンセプトワードやストーリーボードを描いて世界観を提示し、パナソニックのデザイナーさん達とも何度も打ち合わせをしながら製作したのが、このムービーです。
映像コンセプトは「Future Craft: デザインディティールの探査飛行」。日本製品らしい繊細な作り込みを、製品を巨大なビルに見立て、空を飛びながら見て回ります。ついでにその探査飛行のための飛行機もデザインしちゃいました。
映像監督は「デザインあ」の映像制作 でも活躍しているWOWの柴田大平君 です。とても楽しい仕事でした。(登場する複葉機のデザインの詳細については、その2で紹介します)
ここの所ずっと書籍の原稿に追われていたので、ブログを更新することができませんでした。しかし、ようやく書き終わりつつあります。完成間近の本のタイトルは、「カーボン・アスリート —美しい義足に描く夢 」。この3年間ずっとやってきた義足デザインプロジェクトの活動記録です。
自分は文章がうまいとは決して思いませんが、多くの人が読みやすいと言ってくれます。しかしそもそも、文章の読みやすさとは何でしょうか。
小説家の平野啓一郎さんは、「小説を売ろうとすると結局はマーケティングの話にしかならないけれど、小説にデザインの発想を導入することで新しい書き方ができるのではないか。」と提言しています。純文学として読者に伝えたい重たいテーマには、今の読者はなかなかじっくりとつきあってくれなくなっているので、リーダビリティということ念頭に置いて小説をデザインしているそうです。
これは面白い考え方だと思いました。製品デザインには、提供できる性能とは別に、ユーザビリティという考え方があります。性能のいいカメラも使いにくいと十分にその性能を提供することがでないので、私たちデザイナーは慎重に検証を重ねながら「使いやすさ」をデザインします。文章にも伝えるべき内容とは別に、読者を内容にアクセスしやすくするためのデザインがあるのではないかというのです。
それを聞いて、どうせ書くなら私はデザイナーだから、その「リーダビリティ」にこだわってみようかなと思って文章を書いています。このブログでも、基本的に長い文章は書かない、専門用語はできるだけ日常用語に置き換える、説明には日常的な光景の例えをつかう、などを心がけています。
もうひとつ、気に留めていることは言葉のリズムです。最近の速読術では、音に頼ると読むスピードが遅くなるので視覚だけで読めと言いますが、私自身は、声に出して読んだときのリズムを考えながら書いています。読み慣れていない人ほど、語り口を必要とするのではないかと。まあこのやり方をしている限り、平野さんのような視覚的にも絢爛な文章は、到底書けそうにありませんが。
写真は、女子短距離走者の高桑早生選手のためにデザインしたカーボンファイバー製の義足です。義肢装具士さんと連携しながら、すでに四世代目。ようやく実戦に耐えるようになってきました(写真は Ver. 3.0)。書籍「カーボン・アスリート」でも、この開発ストーリーが主テーマの一つになります。自分で言うのもなんですが、泣けます。楽しみにしていてください。
刊行は7月。もっと読みやすくしたくて、まだ字句をちょこちょこいじったりしています。
写真は、開発中の女性用義足のモックアップです。現時点ではあくまでもイメージモデルであり、まだこれで歩くことはできませんが、これをトリガーとして開発を進めようとしています。開発に協力してくれている女性は、板バネの義足を使って走るアスリート。きれいな人なので、足を作るのも緊張します。
義足は紀元前の昔から作られてきました。ただの棒のような物も多く使われて来ましたが、一方で、常に本物に似せるべく芸術品に近い物も製作されました。義足は失われた下肢を補完するものであり、その目的には、歩行機能の回復だけでなく外観の回復も含まれているのです。
作り方が近代化したのは第一次世界大戦直後。大量の傷病兵に対応しなければならなったヨーロッパで、それまではひとつ一つ手作りだった義足製作がシステム化されます。パーツはモジュール化され、金属パイプと量産の接続パーツを組み合わせて、低コストで大量に作られるようになりました。その結果、機能的には向上したものの、外観は本物からは遠い物になってしまいました。
そこで現在では、その金属骨格に肌色のスポンジとシリコンのカバーをつけて外観を似せた、コスメチック義足が作られています。中には、指ひとつ一つまで再現された精巧な物もありますが、それでもよく見れば質感の差は隠せません。残念ながら多くの切断者たちが、現状のコスメチック義足に満足していないのは事実です。日本には義足使用者は8千人ほどいるらしいのですが、ほとんどの人はコスメチック義足を使わず、金属の骨格をそのまま服の下に隠しています。いつかは本物そっくりで、機能的にも十分な物が作れる時代が来るのかもしれませんが、それはまだ先のようです。
今、私たちは、違う道を模索しています。見てもわかる通り、本物の足にはまったく似ていません。人工素材で作られる機能的な人体としての、人工的な美しさを目指しました。一方、左右のバランスをとるためにシルエットとしては人体を引用しています。人の体にはリズミカルな「反り」があるので、カーブしたパイプを使っています。ふくらはぎの部分の白い着脱式アタッチメントは、パンツをはいたときに足の形を自然に見せるためのパッドのようなもので、これも運動機能には全く寄与しないのですが、足の形をきれいに見せるための重要なパーツです。
立つことしかできないモックアップなのですが、それでも彼女はこれを喜んでくれ、何時間も写真撮影につきあってくれました。いつかは、こんな義足で町を歩く人も普通に見かけるようになり、友人たちが「その足いいね。」って自然に言えるようになることを夢見ています。
義足デザイナーの小説を書いた作家の平野啓一郎さんと対談 では、エイミー・ムランという有名な両足義足のモデルさんが話題になりました。彼女が「私には12本の足がある。身長だって変えられる。」と笑いながら話す映像は、とても印象的でした。
そう、そろそろ「失われたものの補完」という考え方から離れて、もっと自由に表現しても良いはずです。
*平野さんとの対談第5回
「義足は道具か、それとも身体か──喪失が新しい創造の場所になる」 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110901/282540/
*写真の義足は、11月22日、23日の二日間、六本木のミッドタウンで開催される慶応義塾大学SFCの研究発表会、OPEN RESEARCH FORUM 2011で展示されます。
SFC Open Research Forum 2011 – 学問ノシンカ
http://orf.sfc.keio.ac.jp/
私がMacintosh に出会ったのは1986年、日本語化されたばかりのMac plusでした。もちろんそのGUIにも感動しましたが、ハードウェアの仕上がりも、それまで私が接したパソコンとはずいぶんレベルが違いました。
あらゆる方向から、ちゃんとデザインされており、家電やオーディオ機器では当たり前だった醜い背面がそのマシンにはありませんでした。冷却スリットやフロッピーのスロットなども一環した思想でデザインされていました。キーボードやマウスをつなぐコネクタもシステム化されており、ともかく全体を「こった造り」が大好きな人間が作った事は、歴然だったのです。
その美意識に惚れ込んで24年、何十台というMacを使って来ました。おそらくは私の人生で最も多くの時間をともに過ごしたブランドでしょう。妻も子守りをしながら、SE30に向かっていましたし、娘も言葉を話す前からマウスを触っていました。
フリーのデザイナーとして駆け出しの頃の私は、13インチのモニターを抱えてプレゼンに出かけていました。世の中は、パソコン上のスライドショーなど見た事もない人たちばかりだったので、それだけでプレゼンの効果は抜群でした。日本で唯一、イラストレータのデータを電子写植機で出力してくれる店が渋谷にあって、そこで作った大判印画紙の四面図を持参してプレゼンした自動車会社では、図面を見るために別の部署から人が集まって来たりしました。その日本初の出力ショップの店長さんは後にDTPのカリスマと言われ、多摩美の教授にもなられた猪股裕一さんです。
その後、アップル本社と仕事をする機会 にも恵まれ、その美意識の根幹に触れたと思える瞬間も経験しました。ここ十年ほどは、私の周りには常時アップル製品が少なくとも7、8台はある生活が続いています。
間違いなく私の生活は、スティーブ・ジョブズによって一変し、その後ずっと御世話になりっぱなしです。彼が去ってアップル製品の魅力が陰った時期もあったけど、すぐに戻って来てくれました。ちょっと心残りなのは、直接にスティーブ・ジョブズその人と話した事がないことですね。一度だけ直に見る機会はありましたが…。
最近二つ、アップルについての素敵な記事を見ました。一つはMacテクノロジー研究所」というブログの記事。もう一つはマイクロソフトのページ(!)にあるコラム。どちらもアップルとスティーブ・ジョブズへの愛に満ちた文章です。
「Mac発表記念日にスティーブ・ジョブズの休職を憂う」
『Apple’s eye No. 280 – 止め処なく躍進を続ける世界2位の企業、アップル~その強さの秘密は、本質主義の「いいデザイン」』 。
スティーブ・ジョブズの引退が噂さされています。彼が引退したらアップルはダメになるんじゃないかと多くの人が憂い、私もそう思わなくはありません。しかし願わくは、ジャガーやポルシェ、BMWのように、永く尊敬され、愛されるブランドになって欲しいと思います。そしていつか、若者達の前でもったいぶって言いたいのです。
「スティーブがいた頃はもっと凄かったんだ…」
(図は1997年に作ったデスクトップテーマ Drawing Board 用の壁紙です。)
このブログが書籍になりました。 一部の本屋では先週末から平積みにされているそうですが、正式には昨日が発売日。
書籍の電子化が話題になっています。リーダーと呼ばれる文章を読むためのデバイスの選択肢も広がり、蔵書を自分で断裁、スキャンしてデータ化する「自炊」などという言葉も流行語になりました。もはやこの流れは止められないものと思います。
そういう時代にあって、ブログという電子データを書籍化する意味は何でしょう。世界中から閲覧できるテキストデータを、あえて紙という工業材料の上に印刷し、本という重さのある物体に変換する意味。この書籍化は私自身への問いかけでもあります。
実際に書籍になって手に取ってみると、意外な事にとてもうれしく思いました。その重さやインキの匂いが心地よく、ページを開くという儀式が楽しく、その中にある自分の文章がなんだか自分のものではないような印象を受けます。
それはデザインの力だと思いました。もちろん、このデザインには装丁のデザイナーや編集者の努力も含まれるのですが、ここで私の言うデザインは、本という物体の根源的な設計そのものです。ページという物に文字を並べてそれを片側で綴るという立体構造、あるべき紙の厚さや重さ、文字の大きさ。千年以上昔から技術と戦いながら少しずつ工夫を重ねられ、進化して来た形。そこには、まだまだ侮れない力があるように感じました。
もし書籍が内容だけで価値を持つなら、この商品は同等の物が,ネット上に無償で流通している不思議な商品ということになります。しかし実際に手に取っていただければ、おそらくは皆さんにも違う印象が伝わるのではないでしょうか。
書籍化するにあたっていくつかの工夫をしました。掲載記事を約半数にしぼり、テーマ別に並べ替えました。写真や図版は、半数以上が元の高精細データから起こしたカラー印刷になっているので、ブログよりも見やすいかもしれません。書籍タイトルもブログタイトルのまま「デザインの骨格」 。
<第1章>アップルのデザインを解剖する:MacBookAirの解剖 他
<第2章>デザインを科学する:旅客機の全長と便器のサイズ 他
<第3章>コンセプトを形にする:日産自動車を辞めた理由 他
<第4章>スケッチから始める:生き残れなかった斬新なアイディア 他
<第5章>モノ作りの現場から考える:深澤直人さんの台形 他
<第6章>人と出会う:チームラボの猪子寿之さん 他
<第7章>骨格を知る:人工物の骨 他
<第8章>人体の秘密を探る:「かたちだけの愛」を読む 他
<第9章>漫画を描く、漫画を読む:浦沢直樹さんの『PLUTO』 他
巻末には、2007年に雑誌アクシスに書き下ろしたマンガが、全ページ(といってもたったの6ページですが)掲載されています。
少しばかり、ブログの更新をお休みしていましたが、今日より週1、2回の更新を再会したいと思います。
平野啓一郎さんの「かたちだけの愛」を読みました。
この小説の主題は「愛」なのですが、主人公は、交通事故で片足をなくした女優と、その現場に居合わせて彼女のために「美しい義足」を作ろうとするプロダクトデザイナー。実際に義足をデザインしているプロダクトデザイナー として、少しばかり感想を書いてみたいと思います。
結論から言うと、とてもリアリティがありました。
<以下少々ネタバレ注意>
お話の中のデザイナーの生活や創作プロセスは、プロの目から見てもなかなか臨場感があります。いくつかの架空の商品やプロジェクトが登場しますが、どれも魅力的で、実際に形にしてみたいと感じるものばかり。アイデアが生まれたばかりのときの曖昧さと不安、徐々にかたちになっていく時の高揚感、人に使ってもらうときの喜びなど、共感できる所がたくさんありました。
特に義足のデザインについての問題点の指摘は、我々がいま進めているプロジェクトの出発点 とほとんど同じでした。つまり、義足は本物そっくりがベストと思われているけど、本当にそれでいいのか、という疑問です。機械を使い、人工素材を使う以上、人の形に似せることと機能は原理的に相反します。本物に似せようとするほど、その違いがあらわになる。だからこそ、人の足を超えた美しい義足を目指すべきではないか。著者が、現場を取材して同じような問題意識を持ってくれたのだとすれば、それはとても心強い事です。
ドキュメンタリーではないので、小説的な「都合の良いこと」が少しばかりあるのはお約束。「愛」が主題なので主人公が直面する困難も主にそちら方面であり、例えば「デザインに対する無理解」というような我々の世界ではおなじみの面倒ごとは登場しません。この小説に登場する人たちはみんなデザインに対する理解が深くて、羨ましくなってしまいます。
ラスト近くの「現場」の雰囲気は特にリアルで素晴らしいと思いました。私も何度か体験したギリギリの緊張感とその中で起こるトラブル、へこたれずに作り続ける仲間達。何かを作り出す喜びに溢れています。そしてラストは本当にまぶしいばかりのイメージの渦。久しぶりにちょっと動けなくなるくらい感動しました。
ある方から私がモデルではないかという光栄な質問を頂きましたが、それはあり得ません。私が平野啓一郎さんに初めてお会いしたのは、この小説の新聞連載がまもなく終わる頃でした。確かに私も、「トロメオ」を使うし、「緒方君」というアシスタントもいるし、「ゴッドハンド」と一緒に義足を作っていますが、それらはみんな偶然です。おかげでリアルで楽しいパラレルワールド体験をさせていただきました。
前回 に続いて、SUICA改札機の裏話的開発ストーリーです。
実験は田町の臨時改札口で行うことになりました。二日間の実験でしたが、準備には2ヶ月以上を費やしました。実験なんだから、うまくいかなければやり直せば良いと思うかもしれませんが、実際には、ある程度以上の規模の実験はコストも手間もかかるので、ワンチャンスになることも少なくありません。そう思って、周到に準備することは重要です。
被験者となってくれる人たちに、何時間もつき合わせることはできないので、ひとりづつ約束をとりつけ時間と人数を調整する必要もあるし、記録装置のセッティング、分単位のタイムテーブル、人員の配置とその人たちに配布するマニュアル、その場で実験内容を変更できる実験機の設計と準備など、意外に複雑で大きなイベントになります。
実験では驚くような光景がたくさん見られました。今では考えられないことですが、カードを縦に当てる人、アンテナの上で激しく振る人、有人の改札機のようにカードを機械に見せて通ろうとする人、ともかく光っている所にかざす人…。
いろいろな形のアンテナを試してみると、解決策は意外にシンプルな所にありました。「手前に少し傾いている光るアンテナ面」、それだけで多くの人がちゃんと当ててくれることがわかったのです。その他「ふれてください」という文字による案内が有効であることや、警告表示がおかれるべき位置などもわかってきました。それらの結果をふまえて作られた改良型による1999年の実験では、読み取り率は劇的に向上し、5割近かったエラー率が、1%以下に下がりました。これによって経営陣のGOがかかり、SUICAは2001年から導入されます。
実験のデータや設計条件から私が決めたアンテナ面の傾斜は13.5度でした。現在、全国に広がりつつあるICカード改札機は、ほとんどがこの角度。実験後に意匠権を取得し、全国の改札機が同じ形で使い心地が変わらないことの重要性を訴えたことも幸いしたのか、今や数千万人が同じ角度の改札機を使用しています。
この実験が実効性のある結果が得られたのは本当に幸運だったと思います。もともと勝算があったわけでもなく、原型はデザインしたものの最終的な改札機の外観は各メーカーにゆだねられているので、私にとっても、自分の作品として広報するような仕事ではないと思っていました。しかし2004年に、友人の平野敬子さんの尽力によりJR 東日本の協力を得て、この開発経緯を紹介する展覧会 が開かれてから状況が一変し、今ではそれが私の代表作のように言われるのですから、不思議なものです。
(写真は、上が1996年の実験に使われた試作機、下は1997年にデザインされ、現在のものの原型となったプロトタイプ)
Suicaの開発プロセスについて触れておきたいと思います。すでにいろいろなところでしゃべったり書いたりしたことなので、ここでは裏話的に。
ことの発端は、1995年にJR東日本の非接触自動改札機(まだSuicaという名前はなかった)の開発担当者が、私のところに相談に来た所から始まります。ICカードを使う改札機については、すでに10年以上研究されており、技術的にはほぼ現在と同じレベルに近付きつつありました。
しかし、実際に試作してテストしてみると、ちゃんと通れない人が半数近くに登りました。特に実験に参加した重役達の評判は悪く、「私のは5回に一回しか通してくれない。2割バッターだ」などと、開発部長が会議の席で罵倒される場面もあったりして、開発中止直前に追い込まれていたそうです。
原因はある程度分かっていました。お財布ケータイやセキュリティカードに慣れた現代の皆さんなら、カードを当てる場所はすぐにわかるでしょうし、当ててから、機械が反応するまでにほんの少し「間」があることも知っています。でも当時の人はそんな機械は見たこともなかったので、当てる場所さえ見当がつかず、ちょっとカードを止めるコツなど誰も知らなかった。
「うまくアンテナ面に当ててくれるように、そして、一瞬止めてくれるようにデザインできませんか」私には、できるともできないとも言えませんでした。一般的に新しい原理の機械の使い勝手に対しては、デザイナーの直感が全く無力である事をよく知っていたからです。
ただ、アメリカから帰って来たばかりの認知科学を専門とする友人が言った言葉を思い出しました。「たくさんの被験者を使う必要はない、実験機を作って丁寧に観察すれば数人の被験者でも、使い勝手の大半は解決できる」まだヤコブ・ニールセンが名著ユーザビリティ・エンジニアリングを書いたばかりで、日本ではユーザービリティという言葉もあまり知られていない時代でした。
私は、聞いた知識をかき集めて、「実験提案書」を作りました。もちろん自分でやるつもりはありません。なにしろ、やったことがないのですから。しかし、その提案書は案外に評判が良く、是非その実験をやってくれということになったのです。
「面倒なことになった」。そう思いながら引き受けたのは翌年のことでした。
その2 へ続きます。
明和電気の土佐信道(@MaywaDenki )さんがtwitterでこんな事をつぶやきました。
以前拝見した、坂井直樹さんのオフィスにある木村英輝氏の壁画 からは、描いた人の身体運動がひしひしと伝わってきました。画家である木村氏にとっては、壁を選んだ所から芸術行為が始まり、壁との格闘そのものが作品です。従って絵を描く場所や大きさが違えば、体の使い方の違いが作品にあらわれ、画題そのものも変化します。
これに対して漫画家である井上雄彦氏は、黒板だろうと美術館の壁だろうと、紙面と変わらぬ印象のキャラクターを巧みに投影します。おいそれとできる事ではないのですが、多くの漫画家の理想はここにあります。紙が違っても、サイズが違っても物語の世界は変わらない。漫画家の頭の中には創作された世界があり、マンガを描く行為はそのプロジェクションなのです。
どこにでも、物語世界を投影できるというマンガの特性は、マンガがとても低レベルの印刷で普及してきた事とも関わりがあるような気がします。一般的に漫画誌は非常に低コストで作られています。特に少年少女向けの週刊コミック誌は、印刷も紙質も最低レベルと言えるでしょう。単行本では少し紙の質は上がるものの、今度は極端に縮小されます。
こうした出版状況に対応して、マンガは、独特のコントラストの強い白黒画になりました。くっきりとした描線と黒ベタが多用され、中間調のグレーを表現する時は、線を掛け合わせるか、スクリーントーンというドットが使われます。通常のカラー印刷では、1インチあたり175個の細かいドットで色調を表現しますが、マンガ原稿のトーンは、1インチあたり70個以下。水彩画では普通の技法である「かすれ」や「にじみ」も原則は使えません。多くの漫画家はこの印刷限界に泣かされながらも、その中での表現の可能性に挑戦してきました。
実は、コストとの戦いで磨き上げられたこの独特の技法は、マンガが海を越えて普及して行くためには好都合でした。輸出先の印刷レベルがどうであれ、世界中のどこで印刷されてもその物語世界が失われないのです。初期のインターネットの低解像度データにおいても、キャラクターの魅力は保たれました。この強靭さが、日本のマンガを世界に普及させる原動力のひとつだったと言えるでしょう。
上のマンガは、雑誌アクシスに依頼されて数年前に私が描いたもの(別ページ )。デザイン雑誌なので印刷は高精細なのですが、あえてマンガらしく描いてみました。
今や、漫画の製作環境も作品を発表する場もネットへと広がり、低レベルの印刷表現の時代は過去のものになりつつあります。マンガという物語世界のプロジェクションが、紙と印刷から離れ、新しいメディアの上でどのような表現を獲得して行くのか、かつて漫画家をめざした者として、とても興味があります。