よく知っている物ほど難しい ~ 絵についてのつぶやきまとめ
絵についての私のつぶやきを少しまとめておきます。発端は5月17日の暦本さんのつぶやきに対する答えでした。長文の連作つぶやきとなり、多くの方にRetweetいただきました。
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絵を描くというのは、見る技術です。東大工学部でスケッチを教えるようになってもう20年近くになりますが、最初に教える事は目の前に見えている物の空間構造を捉え直すことから始めます。 Rt @rkmt 絵がうまい人は同じものを見ていてもちがうものが見えているような気がする。
面白い事に、言語論理的思考の優秀な人間ほどしばしば、「かたち」を見ていない事に気がつきました。「なるほど、わかった」と判断したとたんに、そのものを見なくなるのです。これは人の認知の構造と関わると思われます。
絵を描く訓練は、わかっている物をあえて捉え直す作業です。従ってよく知っている物ほど正確に書くのは難しい。皆さんは、自分の顔を良く見ているはずですが、自分の眉毛の中点が瞳の真上にあるかどうかを憶えているでしょうか。自画像を何度も描いたことがある人間はそれを知っています。
美術学校の学生達は、たいていそういう物の見方を以前から知っているので、あまり劇的なことは起こりませんが、東大やSFCで教えていると、あるとき劇的に認識が変わって、何かつきものが落ちたように描けるようになる学生がいます。
劇的に変わる学生は一部なので、それが隠れた才能だったのかもしれず、本当に授業の効果のほどは、検証できていません。ただ、この授業を初めたときに、学生達の卒論の図が格段にわかりやすくなったと教授達に喜ばれました。
文章においても論文と詩が違うように、絵においても正確にかたちを描く事と、表現者として感動させる事は全く違います。美術教育においてそのあたりの区別が明確でないことは、とても残念なことです。
絵を描く事は、ものの輪郭を描く事ではない。重要なのは向こう側にあって見えていないものや、中心軸のような仮想の線を描く事。そうやって立体や空間の構造を把握したときに迷いなく輪郭を決定することができる。
平野敬子さんは、小学生に上がる前、輪郭を描きなさいという先生に「世界には輪郭なんてない」と言って抵抗したそうです。 RT @Fnote: 「東京の海を灰色に描ける子供は天才かもしれない」中学の美術の先生が教えてくれたことば。
「輪郭は物のかたちを理解するときに生じた抽象作用の結果であって、世界に実在する線ではない」という認識には、通常美術をある程度深く学んでから到達します。彼女はそれを初めから理解していたという事ですね。
久しぶりに自分の手を描いてみました。手の構造が好きです。
はじめまして。
山中さんのブログ、いつも興味深い内容で楽しく読ませていただいています。
「世界には輪郭なんてない」
こんなことを言う子供は、生まれつき物事に対する認識の仕方がちがうのでしょうか。とてもおもしろいです。
確かに物体としての輪郭はなんとか定義することができるかもしれませんが、人間の認識としての輪郭は学習によって得られることですよね。
人がどうやって身体の輪郭を認識してるのか、という身近な疑問ですらちゃんと解明されていないですし。。
先入観の少ない子供だからこそ、言えたのかもしれません。
3D映像は今後確実に流行っていくのでしょうが、
正月とかに家族みんなでグラスをかけて、団欒しているような様子を思い浮かべると、少しおもしろいかな、と思ってしまいます。
はじめまして。
輪郭について考えて悩んでいたら、twitterで上記を読ませていただきました。
ありがとうございました。
以上、お礼まで。
Masaaki Iyodaさん、初めまして。
平野敬子さん、アエラの表紙になったりするような方は、やはり 「栴檀は双葉より芳し」ですね。
今はデザイナーをなさっていますが、若い頃のイラストレーターとしての作品を見ると「輪郭」というものに対する繊細な問題意識がよく伝わります。
@jkikiraraさん
初めまして、コメントありがとうございます。