tagtypeキーボードが、MoMAの永久所蔵品になりました。
あまり広報していませんが、昨年、両手親指キーボード tagtype Garage Kit が、ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されました。
この選定は、私にとっては、特別な意味を持ちます。tagtypeキーボードをデザインする以前の私は、様々なプロダクトをデザインしながら「まだ理想には遠い」と感じていました。製品は、技術開発の根幹から、外観も中身も、ソフトウェア至るまですべて一貫した美意識に貫かなければならない。そう考えていたのですが、そんなことを依頼するクライアントがあるはずもなく、自分でやる技術力もなく…。
その状況が変わったのは、2000年前後。東京大学で私の教え子であった田川欣哉が、私のスタッフとなり、本間淳が外部スタッフとして参加してからでした。
二人は、ともに優秀なメカトロニクス・エンジニアであり、プログラマでした(特に本間は、そのうち奇人・天才シリーズで取り上げたいタイプなのですが、その話は別項目で)。この二人となら、とりあえず全部、自分たちでできる気がしたのです。私は、田川欣哉が1999年に卒業論文の中で考案した日本語入力方式をベースに、汎用のキーボードを開発することを提案しました。もちろん事業化の見込みは全くなかったのですが。
約20歳下の二人との共同作業は、本当にわくわくするものでした。 彼らは芸術的技能の訓練を受けた事はありませんでしたが、私の感覚をよく理解してくれました。恐ろしくよく働いて急速に成長して行く二人の力を借りて、私は、あらゆる設計ディティールに、それこそ回路やソフトウェアの構造にさえ、自分の美意識を込めることができたのです。
2000年に私たちはこの共同作業の成果であるtagtypeキーボードの初号機を発表し、翌年には、同じ3人で作ったロボットCyclopsを発表します。いずれも大きな反響を得ました。その頃から私の理想は絵に描いたモチではなくなって行きました。
このキーボードの第二世代の開発は、2003年から田川が中心になって企画から進めました。外観と基本構造は一応私がデザインしましたが、田川の提示する技術コンセプトにのせてもらった感じです。本間もまた、自分の会社をすでに持っていましたが、様々なアイデアを追加してくれ、私たちは、2004年にtagtype Garage Kitを20セット製作しました。
振り返ってみれば、私の理想の実現には、人から育てる事が必要だったのでしょう。出会った頃には学生だった二人は、私の理想のパートナーとなり、いつしか私を引っ張ってくれるようにもなりました。そして今や二人は、それぞれに独立したデザイン・エンジニアとして活躍しています。
結局、tagtypeプロジェクトは、初号機もガレージキットも製品化には至っていません。つまりこのプロジェクトは今のところ、私と二人の教え子が一緒に遊んだ「理想ものづくりごっこ」のままなのです。だからこそ、その作品が、ニューヨークの美しい美術館の中に、3人の名前と共に永久に保存されることになったことは、本当に痛快です。
Photo by Yukio Shimizu
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*tagtype Garage Kitは、Leading Edge Design Corp のもとで、山中俊治、田川欣哉、本間淳により開発されました。現在はtakram design engineeringが開発を受け継ぎ、商品化を進めています。
MoMA永久保存、おめでとうございます。人類の財産になりましたね。
MoMAへは2度行きました。
講義でお世話になりました大学院生の赤羽です。
tagtypeは昔、雑誌で見かけてそれ以来憧れの製品として心の中にありました。
そのtagtypeにこのような製作の気持ちが含まれていたとは深く知りませんでした。
永久保存のご選定、誠におめでとうございます。
私自身も自分の製作において気持ちを揺らがすことなく、一貫した思いを込められるよう頑張りたいと思います。
どうもありがとうございました。
ocotomoさん、ありがとうございます。
”人類の財産”という言葉に身が引き締まる思いです。
赤羽さん、こんにちは。
ありがとうございます。
私と一緒にtagtype初号機を完成させた時の本間や田川の年齢は
今のあなたと同じぐらいでした。
未来は遠い先ではなく、いつも目の前にあります。
返レス-コメント、ありがとうございました。
私はTrad FasionやSports Wearのデザイナーですが、
先年の夏のオリンピックで、僕が30年ほど前にデザインしたNIKEの初期のウインドブレーカー<Vカット>がアメリカチームのデレゲーションウエアとして取り上げられ、アメリカ選手全員が着用してくれていました。(ウクライナも色違い着用)
NIKEのブランドや企業の力と云う事でしょうが、”世界標準”のスタイルをデザインできたと云う事が30年後に確認できて、とても嬉しい思いをしました。
そして日本人としての誇りも持てました。
山中先生のようなアカデミックで高等なものではないですが、市井のかたすみに僕のようなのもいます。お見知りおきを、(ペコリ)
ocotonoさん
再度コメントありがとうございます。
30年前の日本人のデザインが、今も多くの人に使われていることを知って
私もうれしく思います。
これからも応援してください。