ゆりかごと核エネルギー

Daily Science,Technology and Design — yam @ April 1, 2011 11:06 pm

星空をながめながら、この輝きはほとんどが核融合なんだよなと思うと、不思議な気がします。星の力である核融合と、原発の核分裂は違う現象ではありますが、あらゆる原子が普遍的に内包している核エネルギーを利用している点では同じです。これからの原発を考えるために、少しの時間、宇宙に目をやってみたいと思います。

地球は人類のゆりかごである、しかし人は永遠にゆりかごで生きることはできない

「宇宙開発の父」ツィオルコフスキーは、ちょうど百年前の1911年に友人への手紙の中でこう書いたそうです。彼は、人類が「ゆりかご」で暮らせなくなってしまう可能性についても想像したでしょうか。

地球の最初の生命が約40億年前にあらわれたときから、太陽は安定した核融合炉として地球にエネルギーを供給し続けています。太陽からは放射線もやってきますが、地球の磁気と大気が遮ってくれるので、地上には暖かい光だけが降り注ぎます。地球にも少しばかり放射線を出す物質はありましたが、大規模な核分裂もなく、遠い核エネルギーの恵みを受けながらその脅威とは無縁の世界、それが私たちの地球というゆりかごだったのです。このゆりかごの中では様々な生物達が進化して来ましたが、ごく最近、その末裔である「人類」という生き物が、地上でも核エネルギーが手に入ることに気がつきました。

この発見の前までに人類が使って来たエネルギーは、他の生物達と同様に太陽のエネルギーでした。風や水などの自然エネルギーはもちろん、火をおこす事も太陽の恵みで集められた炭素を燃やすことに他なりません。しかし、太陽の恵みだけで生きるのに限界を感じ始めていた人類は新発見のエネルギーを、(最初は愚かにも同胞を殺すのに使ってしまいますが)やがて夢のエネルギーとして自らの生活を支えるために使うようになりました。

しかし今、多くの人が根源的な違和感を感じ始めています。テレビでは連日核物質の飛散が報道されていますが、そもそも私たちは核物質から発せられる放射線を見る事も感じることもできません。地球の生き物は、太陽からやってくる「光」に対しては上手に適応し、とても高度な感覚器「眼」を獲得しました。凶暴な生き物や環境の変化やなどの様々な脅威から身を守るためにもそれを利用しています。しかし私たちは、自ら生み出してしまった放射線に対しては何も感じないままに、生命の根幹であるDNAが傷つくのを許してしまう。これまでの進化の過程で放射線を感じ取る能力も防御も必要としなかったので、全く無防備なのです。

私たちは震災でダメージを受けた原発の廃棄にすら、恐ろしく時間がかかる事にも茫然としています。そもそも核反応は宇宙スケールのエネルギーであり、人の一生とはタイムスケールが違うのかもしれません。どうやら人類は途方もないエネルギーに手を出してしまった事に気がつき始めました。

おそらく人類が宇宙をすみかとし、自由に動き回るようになる頃には核エネルギーも使いこなしていることでしょう。「自然エネルギー」と私たちが呼んでいるような形のエネルギーは宇宙にはほとんど存在しません。宇宙では宇宙にありふれたエネルギーを使うとすれば、核エネルギーを人類が使い始めたタイミングと、人類の宇宙進出が重なったのは偶然ではないのかもしれません。ツィオルコフスキーが言うように、私たちがゆりかごから出て行く次期が来たのでしょうか。

どうやらここが正念場です。人類が核エネルギーを征してゆりかごを脱するのか、太陽の恵みを見直して、もうしばらくゆりかごで暮らすのか。放射線量や電気使用量のグラフとにらめっこしてしまう日々だからこそ、こんなスケールで考えてみることも大切だと思います。

(写真はNASAハッブル望遠鏡ギャラリーから、星の死滅によるガスの放出。NGC 6302 )

フェスト社の美しい飛行機械達

Technology and Design — yam @ March 26, 2011 7:50 pm

ドイツにフェストFestoという会社があります。電磁バルブや空気圧アクチュエーターなどの様々な空気圧機器、部品を作っている会社です。いずれも私たちが日常生活で直接に使うような製品ではないので、一般的にはあまり知られていません。この会社の製品は、売れ行きを伸ばすために見映えを良くするようなデザインとは無縁なのですが、機能的でシンプルでありながら質感が高く、ドイツ IFなどのデザイン賞の常連です。

そのフェスト社は、2006年頃から「生体工学学習ネットワーク Bionic Learning Network」あるいは「自然からの発想 Inspired by Nature」と名付けられたプロジェクトで、様々なロボットを研究しプロトタイプを発表しています。いずれも、生き物の機能を引用しながら、新しい技術コンセプトを提示しており、必ずしも直ちに役に立つものではないものの、技術者からもアーティストからも非常に高い評価を受けています。特に、エアジェリーエアペンギンなどと名付けられた、ヘリウムガスを充填した薄い膜構造と超軽量の制御機構からなる、一連の飛行体は圧巻です。

その最新作が先日発表されました。実際に羽ばたいて飛ぶ事ができるカモメ型の超軽量ロボットで、その名も「スマートバード」。羽ばたき飛行のロボットはこれまでにもありましたが。これほどしなやかに優雅に空を飛ぶロボットは初めて見ました。

翼長は2m近くありますが、重量はわずか450グラム,繊細なリンク機構で羽ばたく超軽量骨格の翼は、羽ばたくたびに柔らかくねじれ、効果的に空気を抱え込み送り出します。フェスト社の解説によれば、本物の鳥に近いエネルギー効率を実現したそうで、映像にはありませんが、ちゃんと離陸し着陸するようです。

フェストのような産業用に特化した部品メーカーは、どうしても一般消費者との接点が希薄になります。日本でもそうしたメーカーは人材を確保するのにも苦労することが多いようですが、これらの夢のあるプロトタイプを発表する事で、フェスト社は、多くの人々にその技術力と美意識を効果的にプレゼンテーションしています。こうした役割を果たすのも、技術と人を繋ぐデザイナーの役割でしょう。

私たちは今、テクノロジーがもたらした不幸な結果に直面しています。しかしだからこそ、美しい技術の夢をながめながら、自然界では人だけに与えられた「未来を創る力」をどこへ向けるのかを考えて行きたいと思います。

放射能のビジュアルイメージ

Daily Science,Technology and Design — yam @ March 13, 2011 8:58 pm

まだ、地震で被害を受けた原発を押さえ込むための努力が続いていますが、報道を見ながら家族と話してみると、「放射能」という言葉が表す物の実体をイメージすることの難しさを改めて思いました。専門家でもなんでもないのですが、家族に説明するつもりで放射能についての私なりのビジュアルイメージを描いてみます。

「放射能」という不思議な言葉は、ラジオ・アクティビティの訳語として作られました。ラジオは「光の放射」を表す言葉、アクティビティは「能力」です。かつて、何やら目に見えない強い光を発する物質を発見した科学者達は、その物質たちの働きの総称として、ラジオ・アクティビティ(放射能力)と名付けました。その後、科学者達はこの「放射能力」のある物質を精製して一カ所に集めると、それが互いに影響し合ってものすごく強い光を出すことを突き止めました。これを利用した原子力発電では、その強力な見えない光でお湯を沸かして蒸気の力で発電しています。

さて、このように「放射能」という言葉は、もともとは機能を表す言葉なのですが、広く二つの意味で使われてます。

一つは「目に見えない強い光」(放射線)そのものの意味。この場合「放射能を浴びる」などと表現されます。この光の特徴は、目には見えず、透過力が強く、かつ破壊力があることです。かすかなものは自然界にも普通に存在していて、ほとんど無害なのですが、強力な源の近くで大量に浴びる事はとても危険です。日光浴でもときには火ぶくれになりますが、体の表面の火傷なのですぐに直ります。ところがこの目に見えない光は体の内部まで一様に焼くので、痛みはなくても人体は致命的な損傷を受け、かつ非常に回復が難しいのです。

原子力発電ではこの光が外に漏れないよう、分厚い金属で厳重にカバーしています。もし原子炉が壊れて中から直接光が出て来たら、服や家屋もほとんど遮る役には立たないので、ともかく離れるしかありません。10センチの距離なら火傷する電気ストーブでも、10m離れれば何の効果もなくなるように、距離を取ることがとても効果的です。

一方「放射能に汚染された」とか「雨と一緒に降ってくる」などと表現するときの放射能という言葉は「放射能力のある物質」の意味で使われています。目に見えない光を発する「光る粉」をイメージしてみましょう。ひとつ一つはわずかな光なので、体についても短時間なら害はありませんが、大量に吸い込むと体の中のあちこちがその光によって損傷を受けます。この物質にはいろいろな種類があるのですが、中には何年、何十年も光り続けるものもあります。そういうものが体の中に留まると、傍らにある細胞は長期間その光を浴びることになり、癌などの疾患を引き起こします(期間は短くても強く光るものもあるので寿命が短いから安全とは言えませんが)。

この「見えない光る粉」が広範囲にばらまかれてしまったときの対策の基本は、ともかく体に入れないようにすることです。なるべく浴びないこと、浴びたらすぐに洗い流すこと。毒ではないので解毒剤のようなものはありません。良く似た物質で、放射能力のないものを大量にとると、体にたまるのを防ぐ効果はあります。

以上のように「放射能」という言葉は、二つの実体が混合されたまま使用されています。「放射能漏れ」と聞いたときに、光そのものが放射されているのか、光る粉がただよい出たのかを見極めることは大切で、それによって全く対処が違います。

いずれにしても目に見えないし、何も感じられない現象なのでとても不安になりますが、だからこそ、きちんとしたイメージを持つことが、私たちの身の守るための第一歩だと思います。

(この文章は一応技術職にある私の理解を、分かりやすく伝えようとしたものです。私は原子力の専門家ではありません。よりきちんと伝えるための専門家の方の助言をお待ちしています。)

南の島で出会った北欧のライン

Technology and Design — yam @ March 1, 2011 12:49 am

先日、種子島に取材旅行に行った時、35人乗りの小さな飛行機に乗りました。このあまり見かけない形の飛行機はサーブ 340Bと言います。そうあのスエーデンの自動車、サーブと同じブランドの飛行機なのです。実はサーブはもとは日本の富士重などと同じように航空機、軍需品のメーカーであり、そこから自動車部門が独立してサーブ・オートモビルとなりました。

種子島まで35分の短いフライトでしたが、搭乗が折りたたみの小さなタラップだったり、各シートの前には気分が悪くなったときのための袋が3つずつ(そんなに要るのか?)用意されているなど、小型機らしい体験がたっぷり。現在の大型機と違って貨物室が客席の後方にあり、「重量のある貨物が搭載されたので、バランスを保つために前6列のお客様からご搭乗下さい。」などという珍しいアナウンスも聞こえます。

私は飛行中、一番後ろの席からエンジンのカーブをながめながら、サーブ92や900などのかつての名車たちを思い出していました。デザイナー達の交流があったかどうかはわかりませんが、ラインの癖がそっくりなのです。以前このブログで、第二次大戦当時の戦闘機のデザインにはそれぞれのお国柄が現れると描きましたが、この航空機も車もまさに「サーブ」のラインでできていました。

それは一言で言うと、カジュアルで人なつこく、優しさのあるどこか女性的なラインです(全然一言じゃないし、笑)。こういうニュアンスは結局比喩で語るしかないのでうまく伝わるかどうかはわかりませんが、写真でもボーイングなどの力強さとは違う優しさ、悪く言えばひ弱さを感じてもらえるでしょうか。

実は自動車会社にいた頃、サーブのラインがとても好きだったのです。日本の南の方の島で、なつかしい北欧の文化に出会った素敵なひとときでした。

「かたちだけの愛」を義足のデザイナーとして読んでみた

Technology and Design,Works — yam @ December 15, 2010 9:08 am

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平野啓一郎さんの「かたちだけの愛」を読みました。

この小説の主題は「愛」なのですが、主人公は、交通事故で片足をなくした女優と、その現場に居合わせて彼女のために「美しい義足」を作ろうとするプロダクトデザイナー。実際に義足をデザインしているプロダクトデザイナーとして、少しばかり感想を書いてみたいと思います。

結論から言うと、とてもリアリティがありました。

<以下少々ネタバレ注意>

お話の中のデザイナーの生活や創作プロセスは、プロの目から見てもなかなか臨場感があります。いくつかの架空の商品やプロジェクトが登場しますが、どれも魅力的で、実際に形にしてみたいと感じるものばかり。アイデアが生まれたばかりのときの曖昧さと不安、徐々にかたちになっていく時の高揚感、人に使ってもらうときの喜びなど、共感できる所がたくさんありました。

特に義足のデザインについての問題点の指摘は、我々がいま進めているプロジェクトの出発点とほとんど同じでした。つまり、義足は本物そっくりがベストと思われているけど、本当にそれでいいのか、という疑問です。機械を使い、人工素材を使う以上、人の形に似せることと機能は原理的に相反します。本物に似せようとするほど、その違いがあらわになる。だからこそ、人の足を超えた美しい義足を目指すべきではないか。著者が、現場を取材して同じような問題意識を持ってくれたのだとすれば、それはとても心強い事です。

ドキュメンタリーではないので、小説的な「都合の良いこと」が少しばかりあるのはお約束。「愛」が主題なので主人公が直面する困難も主にそちら方面であり、例えば「デザインに対する無理解」というような我々の世界ではおなじみの面倒ごとは登場しません。この小説に登場する人たちはみんなデザインに対する理解が深くて、羨ましくなってしまいます。

ラスト近くの「現場」の雰囲気は特にリアルで素晴らしいと思いました。私も何度か体験したギリギリの緊張感とその中で起こるトラブル、へこたれずに作り続ける仲間達。何かを作り出す喜びに溢れています。そしてラストは本当にまぶしいばかりのイメージの渦。久しぶりにちょっと動けなくなるくらい感動しました。

ある方から私がモデルではないかという光栄な質問を頂きましたが、それはあり得ません。私が平野啓一郎さんに初めてお会いしたのは、この小説の新聞連載がまもなく終わる頃でした。確かに私も、「トロメオ」を使うし、「緒方君」というアシスタントもいるし、「ゴッドハンド」と一緒に義足を作っていますが、それらはみんな偶然です。おかげでリアルで楽しいパラレルワールド体験をさせていただきました。

トロメオ:36歳の建築家と52歳の照明技術者の共作

Sketches,Technology and Design — yam @ December 10, 2010 11:14 am

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デスクランプ「トロメオ Tolomeo 」は、今更私が言うまでもなく、二十世紀を代表するデザインであり、世界で最も親しまれている照明器具の一つです。

デスクランプとしては比較的オーソドックスな構造なのですが、それが恐ろしく洗練されていいて、機能とスタイルの完璧なバランスが、まるで機能美の教科書のよう。素材の使い方も理にかなっており、仕上げも精緻で、アルミという金属の魅力を存分に伝えてくれます。

特に感心するのは、一見すべての構造を露出しているように見えながら、ハーネスやスプリングなどの部品を巧みにアームの中に隠すことによって、幾何学的な美しさを際立たせていることです。構造と力学、製造技術をよく知りながら、それを高い美意識でコントロールしており、並外れた芸当と言えます。

この照明器具を初めて見たとき、めまいがしました。駆け出しのデザイナーであった私の理想のデザインがそこにあって、これをやられてしまったら自分はどうしたらいいんだろうという感覚。しかもメカニカルなディティールのちょっとした形の癖までがツボ中のツボ。私はトロメオの実物を90年頃に手に入れましたが、影響されてしまうのが怖くて、スケッチしてみたのは今日が始めてです。

トロメオという名前はエジプトの王朝プトレマイオスのイタリア名なのだそうです。この古き王の名を戴く照明器具をデザインしたのがミケーレ・デ・ルッキであることが一般的には知られていますが、メーカーであるアルテミデのサイトではミケーレ・デ・ルッキとジャンカルロ・ファッシーナの連名になっています。

1951年生まれの建築家ルッキは、すでに巨匠と言われる存在で、今も精力的に作品を発表し続けています。しかし、その多くは機能的というよりも、ユーモラスであったり象徴的であったり、むしろアーティスティックな作品が並びます。

一方、ファッシーナ Giancarlo Fassina は日本ではあまり知られていません。そこで少し調べてみると、1935年生まれの照明および照明器具を専門とする技術系デザイナーのようです。いくつかの建築事務所を渡り歩いた後1970年にアルテミデに入社し、技術者として多くの建築家やデザイナーと共同で照明器具を開発しています。

二人の経歴と関わった作品をながめていると、トロメオ誕生の経緯が見えて来ます。トロメオがデザインされた1987年にはルッキは36歳、ファッシーナは52歳でした。勝手な想像なのですが、気鋭の建築家の美的感覚を、経験豊かな照明技術者の技術力が支えることによって、この世紀の傑作が生まれたのではないでしょうか。

優れたデザイナーと優れた技術者の出会いが優れたデザインを生む構図は、やはり普遍的なもののようです。

佐藤卓さんの「おいしい牛乳」

Technology and Design — yam @ November 30, 2010 1:03 am

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「『おいしい牛乳』のパッケージは完璧なデザインである。清潔感と俗っぽさのバランスといい、売り場での存在感といい、これほど完璧なデザインは滅多にないと心から思う。しかし私にとっては最低のデザインでもある。なぜなら、私はここから何のインスピレーションも得ることができないのだ。」

この「おいしい牛乳」のパッケージ・デザイン評を私は、公開のトークショーの場で、佐藤卓さんに直接言ってしまいました。尊敬を込めての発言なのですが、発言してから「最低」はいい過ぎだったかもとちょっと後悔しました。しかし、卓さんは大笑いしながら答えてくれました。

「いやいや最高の褒め言葉じゃないですか、うれしいですねぇ。」

もちろん褒め言葉でした。店頭に並んだ時のリズム、明解な色調、ネーミングの新鮮さとロゴの堂々とした感じ。清潔感と端正さがありながら、適度に大衆的。そのうえ、商品パッケージとして必要な情報を全部詰め込んで、なお煩雑さを感じさせません。あらゆるディティールに理由があるその周到さには感動を憶えます。

しかし、一方でプロフェッショナル過ぎるとも感じます。その手際の良さは、イチロー選手のタイムリーヒットみたいなもので、完璧にねらい通りの場所に落としていて、それ以上でも以下でもない。うっかりすると場外ホームランになってしまう打球でもなく、ましてや豪快な空振りのようなわくわく感はどこにもありません。

あくまでも商品のデザインであり、アーティストとしてこれを見たときには、ここからインスパイアされて何か新しいものを見つけることは難しいでしょう。その意味で「最低」という言葉を使いました。よく言ったものだと思いますが、卓さんには、ちゃんとその真意が伝わったようでほっとしています。

今でもコンビニに牛乳を買いに行くと、ついついこれを買ってしまいます。ただ先頃、Meijiのロゴが変わってしまったことで、その完璧さが少し崩れてしまったのが、実に惜しい。

(画像は佐藤卓デザイン事務所のウェブから)

あらためてSuicaの話でもしようか その2

Daily Science,Technology and Design,Works — yam @ November 25, 2010 7:52 pm

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前回に続いて、SUICA改札機の裏話的開発ストーリーです。

実験は田町の臨時改札口で行うことになりました。二日間の実験でしたが、準備には2ヶ月以上を費やしました。実験なんだから、うまくいかなければやり直せば良いと思うかもしれませんが、実際には、ある程度以上の規模の実験はコストも手間もかかるので、ワンチャンスになることも少なくありません。そう思って、周到に準備することは重要です。

被験者となってくれる人たちに、何時間もつき合わせることはできないので、ひとりづつ約束をとりつけ時間と人数を調整する必要もあるし、記録装置のセッティング、分単位のタイムテーブル、人員の配置とその人たちに配布するマニュアル、その場で実験内容を変更できる実験機の設計と準備など、意外に複雑で大きなイベントになります。

実験では驚くような光景がたくさん見られました。今では考えられないことですが、カードを縦に当てる人、アンテナの上で激しく振る人、有人の改札機のようにカードを機械に見せて通ろうとする人、ともかく光っている所にかざす人…。

いろいろな形のアンテナを試してみると、解決策は意外にシンプルな所にありました。「手前に少し傾いている光るアンテナ面」、それだけで多くの人がちゃんと当ててくれることがわかったのです。その他「ふれてください」という文字による案内が有効であることや、警告表示がおかれるべき位置などもわかってきました。それらの結果をふまえて作られた改良型による1999年の実験では、読み取り率は劇的に向上し、5割近かったエラー率が、1%以下に下がりました。これによって経営陣のGOがかかり、SUICAは2001年から導入されます。

実験のデータや設計条件から私が決めたアンテナ面の傾斜は13.5度でした。現在、全国に広がりつつあるICカード改札機は、ほとんどがこの角度。実験後に意匠権を取得し、全国の改札機が同じ形で使い心地が変わらないことの重要性を訴えたことも幸いしたのか、今や数千万人が同じ角度の改札機を使用しています。

この実験が実効性のある結果が得られたのは本当に幸運だったと思います。もともと勝算があったわけでもなく、原型はデザインしたものの最終的な改札機の外観は各メーカーにゆだねられているので、私にとっても、自分の作品として広報するような仕事ではないと思っていました。しかし2004年に、友人の平野敬子さんの尽力によりJR 東日本の協力を得て、この開発経緯を紹介する展覧会が開かれてから状況が一変し、今ではそれが私の代表作のように言われるのですから、不思議なものです。

(写真は、上が1996年の実験に使われた試作機、下は1997年にデザインされ、現在のものの原型となったプロトタイプ)

あらためてSuicaの話でもしようか その1

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Suicaの開発プロセスについて触れておきたいと思います。すでにいろいろなところでしゃべったり書いたりしたことなので、ここでは裏話的に。

ことの発端は、1995年にJR東日本の非接触自動改札機(まだSuicaという名前はなかった)の開発担当者が、私のところに相談に来た所から始まります。ICカードを使う改札機については、すでに10年以上研究されており、技術的にはほぼ現在と同じレベルに近付きつつありました。

しかし、実際に試作してテストしてみると、ちゃんと通れない人が半数近くに登りました。特に実験に参加した重役達の評判は悪く、「私のは5回に一回しか通してくれない。2割バッターだ」などと、開発部長が会議の席で罵倒される場面もあったりして、開発中止直前に追い込まれていたそうです。

原因はある程度分かっていました。お財布ケータイやセキュリティカードに慣れた現代の皆さんなら、カードを当てる場所はすぐにわかるでしょうし、当ててから、機械が反応するまでにほんの少し「間」があることも知っています。でも当時の人はそんな機械は見たこともなかったので、当てる場所さえ見当がつかず、ちょっとカードを止めるコツなど誰も知らなかった。

「うまくアンテナ面に当ててくれるように、そして、一瞬止めてくれるようにデザインできませんか」私には、できるともできないとも言えませんでした。一般的に新しい原理の機械の使い勝手に対しては、デザイナーの直感が全く無力である事をよく知っていたからです。

ただ、アメリカから帰って来たばかりの認知科学を専門とする友人が言った言葉を思い出しました。「たくさんの被験者を使う必要はない、実験機を作って丁寧に観察すれば数人の被験者でも、使い勝手の大半は解決できる」まだヤコブ・ニールセンが名著ユーザビリティ・エンジニアリングを書いたばかりで、日本ではユーザービリティという言葉もあまり知られていない時代でした。

私は、聞いた知識をかき集めて、「実験提案書」を作りました。もちろん自分でやるつもりはありません。なにしろ、やったことがないのですから。しかし、その提案書は案外に評判が良く、是非その実験をやってくれということになったのです。

「面倒なことになった」。そう思いながら引き受けたのは翌年のことでした。

その2へ続きます。

ドリームチームが作ったMUJIアプリ”NOTEBOOK”

Technology and Design — yam @ November 18, 2010 3:57 am

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MUJIブランドから、iPad向けのアプリNOTEBOOKが発売になりました。無印良品のソフトウェア、しかもApple向けというだけでも十分ニュースなのですが、私にとってはさらにうれしい事件でした。この開発チームが知った顔ばかりなのです。

開発主体となった、Takram Design Engineering の創設者、田川欣哉@_tagawa君は、学生の頃から私のオフィスで働いれくれた元スタッフです。特に2001年以降の数年間は、私のオフィス兼自宅に住み込んで文字通り24時間片腕となってくれました。

その彼が、サン・マイクロシステムズからGoogleを経てtakramにやって来た川原英也@hideyaさんとともに、このプロジェクトのために集めた面々は、以下の通り。

CyclopsやTagtypeキーボードを私と一緒に製作したソフトウェアエンジニアの本間淳@2SC1815J 君 。On the flyやAnother Shadowの製作者であり、今も私の右腕として働いてくれるインターフェースデザイナーの緒方壽人@ogatahisato 君。他国言語システムに精通する岩井貴史@tawashi5454_ 君(takram)はSFC出身で、私のスタッフの檜垣万里子@mrkhgkさんの夫。Ephyraチームにも参加し、SFCから東大大学院を卒業した牛込陽介@ushi_ 君や、SFCを卒業したばかりの姉崎祐樹@yanezaki君も参加しました。(@以下はtwitterアカウントです。)

実際に、この “NOTEBOOK” を使ってみて感心するのは、その軽やかさとシンプルさです。それを実現するための、機能のそぎ落としぶりが見事。たった3つしかないツールはどれもサクサク快適で、文字と絵が混じり合うメモを気軽に作ることができます。グラフィックの変化もなめらかで美しく、手描き入力も快適…。

褒め殺しになると行けないのでこの辺で。ともかく教え子達が、いい仕事をするようになった事を心から喜びたいと思います。

総合ディレクターの原研哉さん、教え子達の仕事ぶりはいかがでしたか。

(図は、スポーツ・アンド・バイオメカニクス2010における私のメモ)

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