有人小惑星探査船 その1

Technology and Design — yam @ 1月 3, 2012 1:06 am

2012年の最初のエントリーは初夢っぽく、慶應SFCで研究してきた有人小惑星探査船の話をします。長い夢物語になるので3回に分けてアップしたいと思います。

きっかけはアーティストの八谷さんから私宛のツイッターでした。宇宙機のデザインに興味を持っている航空宇宙関係の技術者を紹介したいと(「航空宇宙のデザイン始めます」参照)。その人は野田篤司さん。過去にいくつも実現した衛星プロジェクトを指揮してきた高名な技術者です。その方が「カッコイイ宇宙機」を作りたいという夢をずっと持っているというのです。実際にお会いしてすっかり意気投合してしまいました。それから1年半以上、「美しい宇宙船」を作ることの意味と可能性について議論を重ねています。

そのツイッターのやり取りを見て声をかけてくれた雑誌の編集者さんがいました。講談社コミックモーニングの佐渡島庸平さん。佐渡島さんが担当しているマンガ「宇宙兄弟」のムック本「We are 宇宙兄弟」に宇宙機のデザインプロセスを連載してみないかとメールをいただきました。ばたばたと連載が決まり、宇宙と宇宙機について野田さんのレクチャーを受けながら、デザインスタディとして有人小惑星探査ロケットをデザインして、その経過を連載してみることにしました。それがちょうど1年前です。写真はその最新号にも掲載したモックアップです。

宇宙開発の専門家である野田さんと構想を議論し始めてまず驚いたのは、通常の乗り物とは全く計画の手順が違うことでした。いわゆる商品として乗用車やバイクを計画するときには、目標となる運動性能や人や荷物の積載量、使い方などを検討する所から始めます。

有人ロケットもそこが決まらなければ、デザインできないのは同じですが、最初に野田さんが始めたことは「行く先」を決めることでした。数百ある小惑星の軌道と地球との位置関係から、それぞれの小惑星に最も短い時間で行けるタイミングを、2020年から40年間に渡ってシラミ潰しに計算して行くのです。目標はできるだけ少ない燃料で、できるだけ短い時間で(できれば6ヶ月以内で)帰って来れるルートを探すこと。

考えてみれば、1回しか使わないロケットを設計する以上、当たり前のことだったのですが、これまで私がデザインしてきた乗り物の行き先や出発日は買った人が決めるものだったので、あまりに計画手順が違って感動しました。

そんな私の感動をよそに、野田さんがその膨大な計算結果の中から淡々と選んでくれたターゲット候補は3つ。小惑星2006 QQ56(2050年3月9日に地球を出発し、9月3日に帰還)、小惑星1999 AO10(2025年9月1日に地球を出発し、2026年2月27日に帰還)、小惑星2001 QJ142(2047年4月24日に地球を出発し、10月20日に帰還)。それぞれに推進剤の量や、宇宙飛行士の宇宙滞在時間が計算され、それを元にタンクの大きさやエンジンの大きさが決まって行きます。

2050年(!)という遠い未来の日付を見て、自分が今、どんなに途方もないものをデザインしようとしているかを思い知らされました。

その2に続きます。

*写真:清水行雄

気がついたら「豪華すぎるトークショー」になっていた件

Exhibition,SFC,Technology and Design — yam @ 11月 21, 2011 2:21 am

11月23日にこんなトークショーがあります。

出演者は、あいうえお順で

不思議な金属生物のような楽器を使って、世界のあちこちで前衛的なパフォーマンスを行い、大ヒットしたオタマトーンなどの不思議な製品を作り続ける明和電機社長の土佐信道さん

ユニクロやAUなどのクールなウェブをデザインし、インフォバー2の操作画面をデザインし、「デザインあ」などの番組も手がけるインターフェースデザイナーの中村勇吾さん

JAXAで様々な衛星の開発に携わる一方で、フィクションの技術考証によりコアなSFファンの間でも「野田司令」の愛称で知られる宇宙機エンジニアの野田篤司さん

「日蝕」により23歳という若さで芥川賞を受賞し、その後も「葬送」「決壊」「ドーン」など幅広い小説を書き続け、コミックモーニングでも「空白を満たしなさい」を連載中の小説家、平野啓一郎さん

とても忙しい方々なので、出演を依頼したときには、きっとお一人ぐらいは予定が合わないだろうと覚悟していたのですが、皆さん参加してくれることになって、1時間半ではとても皆さんの魅力を引き出せないような豪華すぎるトークショーになりました。

トークショーのタイトルは「未知の領域へ広がるデザイン」。実は4方ともデザインについては深く語り合ったことのある人たちで、「デザイン」という言葉をとても大切にしてくれています。

一方、どの方も普通の意味の「デザイナー」ではありません。

土佐さんは、過去にもサバオやノックマン、ジホッチ何ど様々な製品を開発していますが、そのデザインは決してグッドデザインには収まらず、デザインとアートの垣根をガラガラ壊してくれる人。

肩書きにデザイナーとあるのは中村さんだけですが、ご存知のように中村さんは、プログラムベースのとても深い所で人と情報の出会いを設計し、従来の「デザイン」の枠には全く収まらない人です。

野田さんは、宇宙機エンジニアでありながら、スペースシャトルを形ばかりの失敗作としてばっさりと切り捨てる一方、宇宙機は美しくなくてはならないと主張し、とても魅力的な絵も描く多才な人。

平野さんは、小説「かたちだけの愛」ではプロダクトデザイナーの生態を見事に書き表し、ご自身の小説の構造や読みやすさについても「小説のデザイン」という言葉で明確に語ってくれます。

そんな4人と、「デザインの枠に収まらないデザイン」について語り合ってみたいと思います。短い時間の中ですが、皆さん個性的かつ知性あふれる方々なので、興味深いお話になることまちがいなし。お時間のある方は是非お立ち寄りください。

上の絵は4人のツイッターアイコンを、アプリ風にアレンジしてみたものです。

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慶応義塾大学SFC  Open Research Forum 2011 プレミアム・セッション

「未知の領域へ広がるデザイン」

場所:東京ミッドタウン 4F カンファレンスルーム9
日時:11月23日(水・祝)12:00~13:30
入場無料 事前登録不要

ミッドタウンホールでは研究室の研究成果を展示しています。そちらも合わせてご覧ください。

http://orf.sfc.keio.ac.jp/

「失われたものの補完」を超えて

SFC,Technology and Design,Works — yam @ 11月 14, 2011 12:02 am

写真は、開発中の女性用義足のモックアップです。現時点ではあくまでもイメージモデルであり、まだこれで歩くことはできませんが、これをトリガーとして開発を進めようとしています。開発に協力してくれている女性は、板バネの義足を使って走るアスリート。きれいな人なので、足を作るのも緊張します。

義足は紀元前の昔から作られてきました。ただの棒のような物も多く使われて来ましたが、一方で、常に本物に似せるべく芸術品に近い物も製作されました。義足は失われた下肢を補完するものであり、その目的には、歩行機能の回復だけでなく外観の回復も含まれているのです。

作り方が近代化したのは第一次世界大戦直後。大量の傷病兵に対応しなければならなったヨーロッパで、それまではひとつ一つ手作りだった義足製作がシステム化されます。パーツはモジュール化され、金属パイプと量産の接続パーツを組み合わせて、低コストで大量に作られるようになりました。その結果、機能的には向上したものの、外観は本物からは遠い物になってしまいました。

そこで現在では、その金属骨格に肌色のスポンジとシリコンのカバーをつけて外観を似せた、コスメチック義足が作られています。中には、指ひとつ一つまで再現された精巧な物もありますが、それでもよく見れば質感の差は隠せません。残念ながら多くの切断者たちが、現状のコスメチック義足に満足していないのは事実です。日本には義足使用者は8千人ほどいるらしいのですが、ほとんどの人はコスメチック義足を使わず、金属の骨格をそのまま服の下に隠しています。いつかは本物そっくりで、機能的にも十分な物が作れる時代が来るのかもしれませんが、それはまだ先のようです。

今、私たちは、違う道を模索しています。見てもわかる通り、本物の足にはまったく似ていません。人工素材で作られる機能的な人体としての、人工的な美しさを目指しました。一方、左右のバランスをとるためにシルエットとしては人体を引用しています。人の体にはリズミカルな「反り」があるので、カーブしたパイプを使っています。ふくらはぎの部分の白い着脱式アタッチメントは、パンツをはいたときに足の形を自然に見せるためのパッドのようなもので、これも運動機能には全く寄与しないのですが、足の形をきれいに見せるための重要なパーツです。

立つことしかできないモックアップなのですが、それでも彼女はこれを喜んでくれ、何時間も写真撮影につきあってくれました。いつかは、こんな義足で町を歩く人も普通に見かけるようになり、友人たちが「その足いいね。」って自然に言えるようになることを夢見ています。

義足デザイナーの小説を書いた作家の平野啓一郎さんと対談では、エイミー・ムランという有名な両足義足のモデルさんが話題になりました。彼女が「私には12本の足がある。身長だって変えられる。」と笑いながら話す映像は、とても印象的でした。

そう、そろそろ「失われたものの補完」という考え方から離れて、もっと自由に表現しても良いはずです。

*平野さんとの対談第5回
「義足は道具か、それとも身体か──喪失が新しい創造の場所になる」 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110901/282540/

*写真の義足は、11月22日、23日の二日間、六本木のミッドタウンで開催される慶応義塾大学SFCの研究発表会、OPEN RESEARCH FORUM 2011で展示されます。
SFC Open Research Forum 2011 – 学問ノシンカ
http://orf.sfc.keio.ac.jp/

パリの蚤の市にて

Technology and Design — yam @ 10月 4, 2011 1:15 pm

パリのモンパルナスの駅からさらに南へ地下鉄で10分ほどのところ、ヴァンヴでは、毎週末に蚤の市(骨董系がらくた市)が開かれます。L時に曲がった道路に1キロぐらいの範囲で、古い食器や家具や生活小物がずらりと並びます。

ギークな私は、ついつい古い道具や科学の実験道具などに目がいってしまいます。市全体を見渡すと、日本語や中国語の説明がついた、いかにも観光客向けの食器やアクセサリーの店も少なくないのですが、工具を主に売っているような店には素朴な店が多くて楽しめます。

一般的に工具は、とても合理的にデザインされているはずです。その原則は、世界中どこに行っても変わらないようですが、その合理的デザインの結果は、なぜか国によって全然違ってきます。もちろん素材や加工方法の違いがあって、工具の役割自体が違う場合も多いのですが、はさみやのこぎりのように、全く同じ機能、素材であっても民族独特の美意識の違いがくっきり現れます。そのことは、工具の持つ美しさが、必ずしも合理性からだけ生まれるのではないことを示しているように思います。

伝統的な工具は、誰か個人が完成された形をデザインしたものではなく、長い時間をかけて作り継がれる中で、ひとつの形に収束してきました。繰り返し模倣され、改良が重ねられていくうちに、個人のもくろみを超えた美意識が、研ぎすまされ、結晶化されています。その意味で、私に取って海外に行って工具を見ることは、その文化の底流に流れる美の根源に触れることなのです。

蚤の市には、使い方の見当さえつかないものもたくさんあって、店の人に説明を求めると、あまり流暢とは言えない英語で一生懸命説明してくれます。百年以上前のものもあるという(店の親父の説明を信じるならばですが)工具たちが乗っているテーブルの上には、土曜の朝の、のんびりとした時間が流れていました。

初めてのルーブル

Exhibition,Technology and Design — yam @ 9月 22, 2011 6:24 am

ルーブル美術館という世界で最も有名な美術館に、初めて行ってきました。何度かパリには来ているのですが、「丸3日はかかる」とか「人類の至宝」とか、そんな重たい言葉に気後れして、何となく見送ってきたのです。今回、仕事でパリにひと月滞在する機会ができたので、ふらりと行ってみました。

で、一番感動したのは、いまさらですが、写真の「サモトラケのニケ」。撮影が許可されている美術館での楽しみのひとつは、彫刻の写真を撮る事です。絵画は、自分で撮るより遥かに再現性の高い写真が出回っているので、あらためて自分で撮る意味を感じないのですが、彫刻は自分で動き回って、自分が一番快感を感じるアングルを記録する事ができます。ニケはどこから撮影しても絵になるのですが、私の萌えアングルは後ろ姿でした。

この彫像がなんでこんなにかっこいいのかと言えば、それはもう、首やら手やらをもぎ取ってくれた偶然のすばらしさにつきます。人の体に翼をつけた像は世の中にたくさんありますし、完全なままなら、かえってこれに勝る彫刻はあるのかもしれません。でもこの彫像は、前傾した胴体と、風になびいてまとわりつく布と、翼だけが残りました。その結果生まれた、あり得ないほどの緊張感とスピード感。

なんて今更、たかがデザイナーが力説するのも滑稽な気もしますが、もう少し続けます。

実は私にとって、移動体の後ろ姿はいつも萌えポイントです。飛行機でも乗用車でも、斜め後ろから見たときが、最も移動体らしくなるように思えるのです。ニケは、頭と腕を失う事で、人に羽根を付加したキメラではなくなり、移動体としての純粋さを得たのではないでしょうか。空を飛ぶのに腕は要りませんからね。

詩人マリネッティは、未来派宣言で「咆哮する自動車はサモトラケのニケよりも美しい」とか書いたらしいですが、よく言ったものだと思いました。自動車もデザインした事がある身としては、あんなかっこいいものは、ちょっとやそっとじゃ超えられないと思うぞ、と突っ込みたくなります。

ついでに言うと「モナリザ」も良かったです。今まで見たダ・ヴィンチの作品では、どちらかと言えば素描の方が好きだったのであまり期待していなかったのですが、なんか光ってました。あんなに胸と手元を照らす光が強烈な絵だったなんて…。

やっぱり絵画も彫刻も実物じゃないとわからないものです。でも若いときにこの体験をしておきたかったとは、特に思いませんでした。むしろ色々経験を積んでから、名だたる傑作に会うのも悪くないと。だから若いアーティストやデザイナーにルーブル詣でを勧める事は、これからもしない事にします。有名なものばかり先に見てしまったら、後がつまらないじゃないですか。

ジェームズダイソンアワードのお知らせ

Technology and Design — yam @ 7月 15, 2011 9:03 pm

今年の夏は、ダイソンの羽根のない扇風機がたいへん良く売れているそうですが、そのダイソン社の創業者である、ジェームズ・ダイソンの名を冠した国際アイデアコンテスト(デザインコンペ)をご存じでしょうか。その名も「James Dyson Award 」。実は今年から私がこのコンペの審査をお手伝いすることになりました。

このコンテストの第1の特徴は、テーマが毎年同じで「問題を解決するデザイン」であること。デザイナーでもあり発明家、起業家でもあるジェームズダイソン氏は、美的センスと技術センスの両方をもつ人材を、デザイン・エンジニアと呼びます。まさにこのコンテストは未来のデザイン・エンジニアのためのデザインコンペ。「ちょっとかわいいかも」とか「こんなのあってもいいでしょ」というようなアイデアではなく、「この問題を解決しました」という硬派なアイデアを求めています。

もう一つの特徴は応募資格。「現在または過去4年以内に、大学、大学院、ならびにそれに準じる教育機関において、最短でも1学期以上の期間にわたって、工学またはデザインを専攻していた者」。つまり学生、ないしは卒業後4年以内の人のためのコンペなのです。そして賞金1万ポンド(約130万円)は最優秀者に授与されるだけでなく、その人が所属している(いた)大学にも(!)同額が寄附されます。問題を解決する人物が育ってほしい、育ててほしいというダイソン氏の願いが込められているのです。

最後に、このコンペでは、新たに考案された未発表作品を提出する事は要求されていません。つまり、学生や卒業生の皆さんは大学の課題で作った物や、卒業制作の作品でも、オリジナリティさえあれば応募することができます。締め切りは8月2日と迫っていますが、既に完成した作品なら十分に間に合うと思います。

日本は今、未曾有の災害と技術神話の崩壊に見舞われています。しかし、そんな時だからこそ、日本の若者が本物の「問題を解決するデザイン」を提示するチャンスだとも言えます。若きデザイナー、エンジニアの力強い作品を期待しています。

既に4月からエントリーを受け付けていて、その作品は随時ウェブで公開されています。写真は昨年度の 国際最優秀賞「LONGREACH」- 救命用浮き輪発射装置です。

エントリーページ:
http://www.jamesdysonaward.org/Default.aspx

Openers紹介ページ:
http://openers.jp/interior_exterior/news/dyson_110425.html

ゆりかごと核エネルギー

Daily Science,Technology and Design — yam @ 4月 1, 2011 11:06 pm

星空をながめながら、この輝きはほとんどが核融合なんだよなと思うと、不思議な気がします。星の力である核融合と、原発の核分裂は違う現象ではありますが、あらゆる原子が普遍的に内包している核エネルギーを利用している点では同じです。これからの原発を考えるために、少しの時間、宇宙に目をやってみたいと思います。

地球は人類のゆりかごである、しかし人は永遠にゆりかごで生きることはできない

「宇宙開発の父」ツィオルコフスキーは、ちょうど百年前の1911年に友人への手紙の中でこう書いたそうです。彼は、人類が「ゆりかご」で暮らせなくなってしまう可能性についても想像したでしょうか。

地球の最初の生命が約40億年前にあらわれたときから、太陽は安定した核融合炉として地球にエネルギーを供給し続けています。太陽からは放射線もやってきますが、地球の磁気と大気が遮ってくれるので、地上には暖かい光だけが降り注ぎます。地球にも少しばかり放射線を出す物質はありましたが、大規模な核分裂もなく、遠い核エネルギーの恵みを受けながらその脅威とは無縁の世界、それが私たちの地球というゆりかごだったのです。このゆりかごの中では様々な生物達が進化して来ましたが、ごく最近、その末裔である「人類」という生き物が、地上でも核エネルギーが手に入ることに気がつきました。

この発見の前までに人類が使って来たエネルギーは、他の生物達と同様に太陽のエネルギーでした。風や水などの自然エネルギーはもちろん、火をおこす事も太陽の恵みで集められた炭素を燃やすことに他なりません。しかし、太陽の恵みだけで生きるのに限界を感じ始めていた人類は新発見のエネルギーを、(最初は愚かにも同胞を殺すのに使ってしまいますが)やがて夢のエネルギーとして自らの生活を支えるために使うようになりました。

しかし今、多くの人が根源的な違和感を感じ始めています。テレビでは連日核物質の飛散が報道されていますが、そもそも私たちは核物質から発せられる放射線を見る事も感じることもできません。地球の生き物は、太陽からやってくる「光」に対しては上手に適応し、とても高度な感覚器「眼」を獲得しました。凶暴な生き物や環境の変化やなどの様々な脅威から身を守るためにもそれを利用しています。しかし私たちは、自ら生み出してしまった放射線に対しては何も感じないままに、生命の根幹であるDNAが傷つくのを許してしまう。これまでの進化の過程で放射線を感じ取る能力も防御も必要としなかったので、全く無防備なのです。

私たちは震災でダメージを受けた原発の廃棄にすら、恐ろしく時間がかかる事にも茫然としています。そもそも核反応は宇宙スケールのエネルギーであり、人の一生とはタイムスケールが違うのかもしれません。どうやら人類は途方もないエネルギーに手を出してしまった事に気がつき始めました。

おそらく人類が宇宙をすみかとし、自由に動き回るようになる頃には核エネルギーも使いこなしていることでしょう。「自然エネルギー」と私たちが呼んでいるような形のエネルギーは宇宙にはほとんど存在しません。宇宙では宇宙にありふれたエネルギーを使うとすれば、核エネルギーを人類が使い始めたタイミングと、人類の宇宙進出が重なったのは偶然ではないのかもしれません。ツィオルコフスキーが言うように、私たちがゆりかごから出て行く次期が来たのでしょうか。

どうやらここが正念場です。人類が核エネルギーを征してゆりかごを脱するのか、太陽の恵みを見直して、もうしばらくゆりかごで暮らすのか。放射線量や電気使用量のグラフとにらめっこしてしまう日々だからこそ、こんなスケールで考えてみることも大切だと思います。

(写真はNASAハッブル望遠鏡ギャラリーから、星の死滅によるガスの放出。NGC 6302 )

フェスト社の美しい飛行機械達

Technology and Design — yam @ 3月 26, 2011 7:50 pm

ドイツにフェストFestoという会社があります。電磁バルブや空気圧アクチュエーターなどの様々な空気圧機器、部品を作っている会社です。いずれも私たちが日常生活で直接に使うような製品ではないので、一般的にはあまり知られていません。この会社の製品は、売れ行きを伸ばすために見映えを良くするようなデザインとは無縁なのですが、機能的でシンプルでありながら質感が高く、ドイツ IFなどのデザイン賞の常連です。

そのフェスト社は、2006年頃から「生体工学学習ネットワーク Bionic Learning Network」あるいは「自然からの発想 Inspired by Nature」と名付けられたプロジェクトで、様々なロボットを研究しプロトタイプを発表しています。いずれも、生き物の機能を引用しながら、新しい技術コンセプトを提示しており、必ずしも直ちに役に立つものではないものの、技術者からもアーティストからも非常に高い評価を受けています。特に、エアジェリーエアペンギンなどと名付けられた、ヘリウムガスを充填した薄い膜構造と超軽量の制御機構からなる、一連の飛行体は圧巻です。

その最新作が先日発表されました。実際に羽ばたいて飛ぶ事ができるカモメ型の超軽量ロボットで、その名も「スマートバード」。羽ばたき飛行のロボットはこれまでにもありましたが。これほどしなやかに優雅に空を飛ぶロボットは初めて見ました。

翼長は2m近くありますが、重量はわずか450グラム,繊細なリンク機構で羽ばたく超軽量骨格の翼は、羽ばたくたびに柔らかくねじれ、効果的に空気を抱え込み送り出します。フェスト社の解説によれば、本物の鳥に近いエネルギー効率を実現したそうで、映像にはありませんが、ちゃんと離陸し着陸するようです。

フェストのような産業用に特化した部品メーカーは、どうしても一般消費者との接点が希薄になります。日本でもそうしたメーカーは人材を確保するのにも苦労することが多いようですが、これらの夢のあるプロトタイプを発表する事で、フェスト社は、多くの人々にその技術力と美意識を効果的にプレゼンテーションしています。こうした役割を果たすのも、技術と人を繋ぐデザイナーの役割でしょう。

私たちは今、テクノロジーがもたらした不幸な結果に直面しています。しかしだからこそ、美しい技術の夢をながめながら、自然界では人だけに与えられた「未来を創る力」をどこへ向けるのかを考えて行きたいと思います。

放射能のビジュアルイメージ

Daily Science,Technology and Design — yam @ 3月 13, 2011 8:58 pm

まだ、地震で被害を受けた原発を押さえ込むための努力が続いていますが、報道を見ながら家族と話してみると、「放射能」という言葉が表す物の実体をイメージすることの難しさを改めて思いました。専門家でもなんでもないのですが、家族に説明するつもりで放射能についての私なりのビジュアルイメージを描いてみます。

「放射能」という不思議な言葉は、ラジオ・アクティビティの訳語として作られました。ラジオは「光の放射」を表す言葉、アクティビティは「能力」です。かつて、何やら目に見えない強い光を発する物質を発見した科学者達は、その物質たちの働きの総称として、ラジオ・アクティビティ(放射能力)と名付けました。その後、科学者達はこの「放射能力」のある物質を精製して一カ所に集めると、それが互いに影響し合ってものすごく強い光を出すことを突き止めました。これを利用した原子力発電では、その強力な見えない光でお湯を沸かして蒸気の力で発電しています。

さて、このように「放射能」という言葉は、もともとは機能を表す言葉なのですが、広く二つの意味で使われてます。

一つは「目に見えない強い光」(放射線)そのものの意味。この場合「放射能を浴びる」などと表現されます。この光の特徴は、目には見えず、透過力が強く、かつ破壊力があることです。かすかなものは自然界にも普通に存在していて、ほとんど無害なのですが、強力な源の近くで大量に浴びる事はとても危険です。日光浴でもときには火ぶくれになりますが、体の表面の火傷なのですぐに直ります。ところがこの目に見えない光は体の内部まで一様に焼くので、痛みはなくても人体は致命的な損傷を受け、かつ非常に回復が難しいのです。

原子力発電ではこの光が外に漏れないよう、分厚い金属で厳重にカバーしています。もし原子炉が壊れて中から直接光が出て来たら、服や家屋もほとんど遮る役には立たないので、ともかく離れるしかありません。10センチの距離なら火傷する電気ストーブでも、10m離れれば何の効果もなくなるように、距離を取ることがとても効果的です。

一方「放射能に汚染された」とか「雨と一緒に降ってくる」などと表現するときの放射能という言葉は「放射能力のある物質」の意味で使われています。目に見えない光を発する「光る粉」をイメージしてみましょう。ひとつ一つはわずかな光なので、体についても短時間なら害はありませんが、大量に吸い込むと体の中のあちこちがその光によって損傷を受けます。この物質にはいろいろな種類があるのですが、中には何年、何十年も光り続けるものもあります。そういうものが体の中に留まると、傍らにある細胞は長期間その光を浴びることになり、癌などの疾患を引き起こします(期間は短くても強く光るものもあるので寿命が短いから安全とは言えませんが)。

この「見えない光る粉」が広範囲にばらまかれてしまったときの対策の基本は、ともかく体に入れないようにすることです。なるべく浴びないこと、浴びたらすぐに洗い流すこと。毒ではないので解毒剤のようなものはありません。良く似た物質で、放射能力のないものを大量にとると、体にたまるのを防ぐ効果はあります。

以上のように「放射能」という言葉は、二つの実体が混合されたまま使用されています。「放射能漏れ」と聞いたときに、光そのものが放射されているのか、光る粉がただよい出たのかを見極めることは大切で、それによって全く対処が違います。

いずれにしても目に見えないし、何も感じられない現象なのでとても不安になりますが、だからこそ、きちんとしたイメージを持つことが、私たちの身の守るための第一歩だと思います。

(この文章は一応技術職にある私の理解を、分かりやすく伝えようとしたものです。私は原子力の専門家ではありません。よりきちんと伝えるための専門家の方の助言をお待ちしています。)

南の島で出会った北欧のライン

Technology and Design — yam @ 3月 1, 2011 12:49 am

先日、種子島に取材旅行に行った時、35人乗りの小さな飛行機に乗りました。このあまり見かけない形の飛行機はサーブ 340Bと言います。そうあのスエーデンの自動車、サーブと同じブランドの飛行機なのです。実はサーブはもとは日本の富士重などと同じように航空機、軍需品のメーカーであり、そこから自動車部門が独立してサーブ・オートモビルとなりました。

種子島まで35分の短いフライトでしたが、搭乗が折りたたみの小さなタラップだったり、各シートの前には気分が悪くなったときのための袋が3つずつ(そんなに要るのか?)用意されているなど、小型機らしい体験がたっぷり。現在の大型機と違って貨物室が客席の後方にあり、「重量のある貨物が搭載されたので、バランスを保つために前6列のお客様からご搭乗下さい。」などという珍しいアナウンスも聞こえます。

私は飛行中、一番後ろの席からエンジンのカーブをながめながら、サーブ92や900などのかつての名車たちを思い出していました。デザイナー達の交流があったかどうかはわかりませんが、ラインの癖がそっくりなのです。以前このブログで、第二次大戦当時の戦闘機のデザインにはそれぞれのお国柄が現れると描きましたが、この航空機も車もまさに「サーブ」のラインでできていました。

それは一言で言うと、カジュアルで人なつこく、優しさのあるどこか女性的なラインです(全然一言じゃないし、笑)。こういうニュアンスは結局比喩で語るしかないのでうまく伝わるかどうかはわかりませんが、写真でもボーイングなどの力強さとは違う優しさ、悪く言えばひ弱さを感じてもらえるでしょうか。

実は自動車会社にいた頃、サーブのラインがとても好きだったのです。日本の南の方の島で、なつかしい北欧の文化に出会った素敵なひとときでした。

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