ステレオ映像と3D体験のちがい

Daily Science,Sketches — yam @ 5月 23, 2010 1:59 am

stereo_ring_and_ball

流行の3D映画を見て、小学生の頃にステレオ画像にはまったのを思い出しました。とりあえず1枚作ってみましたので裸眼立体視(平行法)のできる人は試してみて下さい。

ひとつの立体を両目で見たとき、左右の眼の位置が違う分、少しだけアングルの違いが生じます。私たちの脳はこれを照合して立体や空間の奥行きを感じています。これを利用したステレオ写真は、写真が生まれて20年ほどしか経っていない1840年代にはすでに盛んに撮られていたようです。方法は簡単で、左右に並べたカメラで同時に撮る、それだけです。

最近3D映画や3Dテレビも、原理は同じで、特殊な眼鏡をかけることによって、アングルのずれた画像が左右それぞれの眼だけに見えるように工夫されています。

これについて田川欣哉君が、twitterの中で「映像面に対して人が右に左に歩き回っても,奥行きの軸が視点に対して変わるわけではない」ことを上げ、そのことが目や脳の負担につながっているのではないかと指摘しています。

確かに、立体が絵と決定的に違うところは、私たちの移動に対して刻々と姿を変えて行く事だと言えます。上の2枚の絵をうまく左右の目で見れば奥行きを感じることができますが、所詮は絵なので、自分が左右に動いてみてもボールとリングの位置関係は変わりません。流行の3D映像も、昔ながらのステレオ映像に過ぎませんから、その点は同じです。

映画は元々、視点を与える芸術でもあります。カメラワークと呼ばれる、視点の移動、切り替え、視野の変化などによって、日常生活にはない視点で世界を見せてくれます。しかしその手法のままでステレオ立体視を付与することには、どこか無理があるのかもしれません。奥行きを感じられるようになった反面、カメラのある場所に「無理矢理連れて行かれる」感が強まってしまったように感じます。3次元の住人としては、もっと自由に動き回りたくなりますね。

むしろ二次元画面であってもRPGの世界のように、自分が移動できたり、視点を変えられたりすることのことの方が、自然な3D体験であるような気がします。その意味ではステレオ立体視のできるゲームには期待しています。

4 Comments »

  1. おっしゃる事はごもっともです。その問いに対してVR(特にCAVE)では、視点を追跡して、視点の位置から見える世界を観測者に提供します。こうすれば、絵は正確に見えるかに思われます。
    しかし、正確にはフォーカスが違います。本来目のフォーカスが遠くに合うべき映像が近くのスクリーンに描かれ、これはこれで違和感、疲れを生じさせます。どこまで行ってもなかなか、現実世界を模擬できないのです。
    また、映画ではフレーミングによって見るべき視点を決めることが、表現の重要な要素になっていると思われます。CAVEでは視点を自分の自由にできますし、ウォークスルーできるコンテンツなんてのは、世界の果てまで行くことが可能な場合が多いです。ただ、だいたいはそんなところまでモデルを作り込んでないので、つまらない世界になってしまいます。自由視点を提供するといことは、コンテンツ製作者側にとって、とてもつらい事ですし、伝えたい事が伝わらない恐れがあります。
    ということを考えると、制約もまたエンターテイメントの一部なのかなと思ったりします。3Dブームの先に、うまい制約のかけかたが見えると良いかなと思ったりします。

    コメント by Yoshisuke TATEYAMA — 5月 23, 2010 @ 10:11 pm
  2. こんにちは。
    頭が固いと言われてしまうかもしれませんが、
    映像が3Dである必要があるのでしょうか・・・?
    と私は思ってしまうのです。
    確かにスクリーンの中から映像が飛び出てくるというのは、
    驚きと一瞬の楽しみを味わうことは出来るかもしれません。
    でも、想像力とか、わかりにくい事を何故?と疑問に感じる
    視点が無くなってしまうようで、そこまでする必要はないのでは・・・と思ってしまいます。
    まして、家庭用のテレビでなど・・・。
    子供の頃、カラーセロファンでメガネを作った覚えがありますが、
    そういうアナログな行為が懐かしいです。
    やっぱり、頭固いかな?
    しかも、まだ映画館で実体験してないからでしょうか?

    コメント by powaro — 5月 24, 2010 @ 10:42 am
  3. Yoshisuke TATEYAMA

    立山先生でいらっしゃいますでしょうか。ご丁寧なコメントをありがとうございます。

    フォーカスの問題については、この文章を書いてから、そちらの方が疲れる主原因ではないかという指摘を数人から頂きました。おっしゃる通りかもしれません。ご指摘ありがとうございます。

    自由視点のコンテンツ製作の製作については、まだ方法論が見えませんが、プアなコンテンツしか提供できない現状では、予言的な作品はあり得ても、最終的な作品の魅力を予測する事は難しいですね。CGがトイワールドと呼ばれて失笑を買っていた時代からまだ20年しか経っていませんが、それと意識されないほどの精度を持つようになった今では、CGを前提にした様々なカメラワークが開発されました。単に情報密度や計算速度の問題であるなら、想像する以上に早くコンテンツの変化がやってくるような気がします。

    未来から見れば、現状の3Dに対する問題提起が杞憂である事は間違いないのですが、むしろこうした議論が、次のクリエイションのきっかけになってくれる事を願うばかりです。

    どうもありがとうございました。

    コメント by yam — 5月 24, 2010 @ 11:32 am
  4. powaroさん、こんにちは。

    これまでのステレオ映像作品は、飛び出す事に主眼がおかれていて、絵としてのクオリティーは二の次のものが多かったのですが、さすがにアバターは見事でした。私はIMAXのアバターしか見ていませんが多くの人がこの感動をもっと味わいたいと思う気持ちもよく判ります。

    ただ、それでも私は、今度は2次元の大画面でゆっくり見てみたいなあと感じています。その方が景観や穏やかな空気などにゆっくり浸れるような気がします。

    コメント by yam — 5月 24, 2010 @ 11:40 am

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